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2015年7月14日 (火)

追悼 岩田聡社長 未だ完結し得ないWiiの試み

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 任天堂の岩田聡社長が亡くなった。氏が天才的なプログラマーであること、若くしてHAL研究所の社長となり、経営を再建させたこと、そして山内 溥の後を継いで任天堂の社長となり、日本の家庭用ゲーム機市場にてwiiをヒットさせたこと、氏を評価する言葉はプログラマーとして、経営者としての側面など余りある。

 そのなかでずっと心にあるのは、ベタなのだがwiiの一連の試みだ。もしかしたら「カジュアルなゲーム機であった」ということで評価が落ち着いてしまっているのかも知れない。ゲーム人口拡大という美的な目標、そして一時的にその実現という実績で評価はおしまいになるのかもしれない。でもそうじゃない。

 任天堂社長に就任して以降の業績として、ハイライトとして語られることの多いDSとwiiのヒット。それは表向きのカジュアルなゲーム人口の拡大というテーマだけでなく、(もしかしたら、意図していないことかもしれないけど)ある意味ではビデオゲームというフレームやルールのリセットのなかで別の文脈へと繋げる可能性があったのではないかということだ。


 当時ハイエンドのPS3やXBOX360のなか、DSそしてwiiの試みはそのリモコン型コントローラー&ヌンチャクというスタイル、そして従来とは違う数々のプロモーション方法などが印象深い。話が少しそれるかもしれないが、かつて森昭雄の提唱したゲーム脳を代表に、科学的に確証の無いと批判があろうととビデオゲームのマスイメージが世間的によろしくない流れがあったなか、確かな実績を持つ川島隆太教授を起用し「脳を鍛える大人のDSトレーニング」を投入し、世間的な印象を変えるためのカウンターを打ったことは「ビデオゲーム人口を増やす」マニフェストの実行の中でも印象深いもののひとつだ。

 2000年代後半に広まったwii。ビジネスとクリエイティビティを両立させるカジュアルな試みは、同時にアヴァンギャルドへと突入する可能性もあった。ライトユーザーもハードコアゲーマーも共存するという表向きの目的と同時に、裏向きに観ていたのはビデオゲームの定義をかなり推進させたところが文脈を覆すようなそれだ。


 当時家庭用機中心で観た場合、ビデオゲームの文脈がある種の方向に推進していってしまっていることに対しての強烈な文脈の解体ぶり。一方は誰でも触れられるWii sportsのようなカジュアル、もう一方はビデオゲームを成立させる構造に対してのアヴァンギャルドな試み。wiiが提示した目標、理想と全てを併せ持った答えは出ていない。

 wiiが提示した裏向きの可能性が完全に表に出た作品は、結局のところわずかなソフトの中にわずかに存在した。オレがwiiの中で最も評価し、再評価が待たれるサードパーティー・マーベラスエンターテイメントの当時のトップだった和田康宏氏はもしかしたらwiiの提示していた裏のコンセプトにもっとも反応しようとしていたのかもしれない。マーベラスエンターテイメントはアヴァンギャルドな作家として須田剛一の「NO MORE HEROS」、飯田和敏の「ディシプリン」、それから木村祥朗の「王様物語」のパブリッシングを行っていたのだ。





 岩田聡社長のハイライトとして書かれることの多いwii、単なるカジュアルやライトユーザーのそれというだけではなく、垂直進化するビデオゲームの文脈の書き換えや裏打ちを行う可能性に満ちていた。もしも当時ここに「Fez」フィル・フィッシュや「スキタイのムスメ」「Super time force」カピバラゲームスのような広い文脈からアート・デザインを再構築できる才能がwiiで大きなプロジェクトにいたならば…というのは無茶な話だが、Wii Wareにて早い段階でインディペンデントの作家が台頭できるような環境であったならば(いまや日本の中間市場としてのインディーの顔、NIGOROの「ラ・ムラーナ」の買いきりメジャーデビューはここだったのだ)コンセプチャルからアートスタイルまで答えを出したものは現れただろうか。オレにとってwiiは最大の功績であるが、最大の謎として残されたままだ。


 その謎は未だに解かれることはない。オレが求めているそれはもしかしたら、冷静に考えてしまえばスマートフォンとPCゲームの中で既に答えが出ているそれなのかもしれない。しかしそれでも何か未完の部分がぬぐえない。だとすればオレにも任天堂ならでは、岩田聡社長、宮本茂ならではというバイアスがあるということなのかもしれない。でなければそこまで任天堂を愛しても心酔してもいないはすなのに、この訃報が堪え悲しいはずがない。

 任天堂はソーシャルゲーム大手DeNAと組み、そして世界的な流れであるマルチプレイヤーシューターの文法を消化した「スプラトゥーン」がヒットするまさに時代の過渡期に突入した。その時に岩田聡社長は亡くなってしまった。時代の潮流ゆえの意味深い偶然、そこに言葉はない。


 天才的プログラマー、幾度の危機を立て直した経営者、そして「社長が訊く」「ニンテンドーダイレクト」でのポップな顔役。でもそうじゃない。「MOTHER2」を立て直した逸話、wiiに内包されたコンセプトの可能性に至るまで、ビデオゲームのカジュアルとアヴァンギャルドが止揚される可能性に少なくなく関わっていたのだと思っている。それは空白のまま確かな答えは出ていない。岩田聡社長のご冥福をお祈りします。

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