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2015年3月27日 (金)

「This war of mine」レビュー リビア・コソボ・シリア・サラエボそれから…

 

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 遠くから砲声が響く。空は黄土色に濁った曇り空が続く。ぼろぼろの家屋の中に3人は逃げ込む。わずかな資源。「こんな町早く逃げ出していればよかったんだ…」 7日が経つ。先の見えない戦争。容赦なく食料を奪う。ひどい季節。寒波が身を凍えさせる。それは心をも痛めつける。お互いが慰めあう。「助け合わなきゃいけないの、そうでしょ?」次の日ひとり死ぬ。誰かが医療品を求めに来る。少し考え、帰す。夜、スーパーマーケットへ資源を漁りに行く。銃を持つスカベンジャーに追い立てられる。犯罪が横行する…


 ここで描かれている戦争の中の市民の姿は、それはサラエボ包囲下の市民がモデルというだけではなく、現在のシリア・リビア…世界の内戦下の中の市民のイメージが凝縮されている。

 シミュレーションやストラテジーのジャンルは当然国家や軍隊の全体像を俯瞰して示す。そこで構成される人間たち、軍隊も市民もリソースとして判断される。当然そのなかで個々の市民のパーソナルが描かれることはほぼ無い。優れたシミュレーションはそういう視座からありうることを描いているものと思う。


 「This War of mine」の特殊さ。それは数多く戦争をネタにするビデオゲームの中で、描かれにくい戦時下の市民にフィーチャーしていることだけじゃない。マクロな視座に置くシミュレーションというジャンルであることはオレには大きい。このジャンルこそ嫌でもあらゆる要素がリソースとして判断されるために、情緒的な行間を見出すことが難しくなるからだ。


 ビデオゲームには現前としてルールやメカニクスが存在する。なのですべてをリソースとして判断する瞬間はいくらでもある。表向きのキャラクターやストーリーやら世界観やらを判断する一方、実際にプレイヤーが関わるメカニクスの面で冷たく戦闘でこいつは使えるか、資金はどうかといったリソースで判断するように分かれる。


 シミュレーションというジャンルはあるいはこう見える。世界がドラスティックに一つのメカニクスによって流れている事実を冷たく提示して見せるジャンルのようだ。ほとんどの意識がリソース管理に持っていかれるため、そこに情緒や感情は差し挟まれにくくなる。

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 だが「This War of mine」は冷たいリソース管理の視座でありながら、そこに情緒や感情が湧き上がるようにぎりぎりのデザインを行う。どうあがいても戦時下を生き残るという目標のためのリソース管理の視座になるのならば、そのリソース管理そのものからシビアさや感情を引き出そうとする。



 ぎりぎりまで単なるリソース管理になることを避ける。飢えや病気、怪我などをパラメーターで定量化して表示はしない。半ば曖昧に見えるよう言葉で表示する。なにかこすっからいことを書いてるが、シンプルに実体の見えない内戦下を生き抜くことを考えればすべてをリソース管理と、その感情に集約されるのは当然だ。ぼろぼろの屋敷のなかで数人で暮らす状況下、飢えや精神と肉体の健康の憔悴について向き合う。

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 「This War of mine」と繋がる作品に、意外に日本の作品が思い浮かぶ。「タクティクスオウガ」そして「ガンパレードマーチ」

 オウガと共通していることはボスニア紛争をひとつインスピレーション先にしていること。そして「ガンパレードマーチ」はかなりリソースに寄るデザインでありながら流動的な物語体験に上手くつなげることなど…「This War of mine」のファーストインプレッションが「ガンパレードマーチ」で悲惨な状況下になった時のムードを思い出したのもある。ガンパレでたしか子供のキャラいたけど不利が極まって食料もなくなりつつある中餓死したのにショック受けたこと思い出した。


 それぞれに共通してるように感じたのも、シミュレーションを基本としているような俯瞰した視座でありながら、ある種の物語であるとか個々人にクローズアップしていることにある。


 そうそれはぎりぎりの感覚だ。世界をメカニクスとしてドライに見出す視座の中で、なお登場人物とそのなりゆきに感情移入させるような作りなのだ。一連のゲームプレイの中で生まれる体験には冷たく悲しむ瞬間がいくらでも差し挟まれる。

 

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 これは戦争という題材を市民の目線で描いたというだけではない。今日的なレベルの切り口である。

 このゲームは最近新たに発表されたDLCではその収益は戦争孤児への寄付という形を取っている。”私たちの戦争”というタイトルのように、現実の地続きとして描く。

 そしてもっともオレにまで地続きであるかもしれないと思わされたのは、それは内戦下という状況になった市民という悲劇の面ではない。そうじゃないんだもっとドス黒く辛い面なんだ…地続きになるのは現実への無力と、そこから生まれるどうしようもない不平とエゴの側面なんだ。


 「This War of mine」を進めているのと同時進行でとある被災地のドキュメンタリーを見た。そこは、内戦下ではないのだがやはり非常に厳しい環境下でリソースの問題を取り合う部分はもちろんだが、望まぬ災害にあった人々の悲劇から数年後のどうしようもなくなった日常が舞台だ。そこでは膨大な人々がこうなった現状に対して無力であり、そして膨大な不平といったエゴが表出する。不平が向かう先は政治や行政、それどころか同じ被災者に関してさえ向けられるのだ。

 

 世界のどこかの内戦地である「This War of mine」の主人公たちは望まなかったこの状況に関しての憤りは。エゴはどうなのだろうか?フィクションのゲームとドキュメンタリーの映画というまったく違うメディアながらも、いち市民たちをクローズアップしたそれらを同時進行で触れながら思うのは、悲劇以上にずっと日常どこにでもある感情だ。オレと同じ立場の市民が主人公ということは、悲劇性に酔うと言うことよりもそうしたつまらなく醜い感情に関して目を向けるということだ。

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いつも読ませていただいてます

タイトルが The war of mineとなっていますがThis war of mineではないでしょうか?

修正しました。した。た。た。

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