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2014年6月24日 (火)

監視・規制・権力のビデオゲームズ 「ディシプリン*帝国の誕生」から「Watch dogs」まで6選

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          誰が見張りを見張るのか?

 ビデオゲームはプログラムされている絶対的なメカニクスとルールの範囲内でプレイヤーは動くことの出来るジャンルだ。が、現在までにヴィジュアルのリアリズムの進歩や過去アーカイヴからのコンテクスト再構成、それからテーマの多様性が広まるにつれ、そのメカニクスとルールそのものを逆転させるようなデザインが生まれている。


 中でも最近ではビデオゲームの根源であるメカニクスとルールを皮肉るかのようにあるテーマによるビデオゲームが頻発しているのを目にする。そう、監視・規制・管理そして権力をテーマとしたビデオゲームである。

 
それはソビエト連邦が健在であり、共産主義の可能性が追われていた時代をモデルとしたり、70年代のミシェル・フーコーの”監獄”から現代のデヴィット・ライアンの”監視社会”に至るまで考察が続く社会がリスクを軽減するために功利的に敷いた監視や管理のシステムがテーマだ。現代最大の客に対してメカニクスとルールを与えるジャンルであるゲームが応えるという盛大な皮肉であり倒錯を実現する作品6本をチョイス。本エントリの作品を複数連続で遊べば独特でいやな気持ちになることうけあいである。一本目は悲劇だ。だが二本目からやがて喜劇となる。


 

「ディシプリン*帝国の誕生」

 

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 飯田和敏ディレクションによる本作は、日本人が起こしたパリ人肉事件やオウム、神戸少年殺人事件などなどをはじめとした犯罪者をモチーフにした人物が多数登場する監獄の中を過ごすゲームだ。犯罪者たちと同じ牢獄の中で、看守に見つからないようにして蛆虫の、いやペニスのメタファーにされたwiiコンをいじり抜き、液体を発射させることで監獄内の装置を作動させて犯罪者の欲求を満たしていくというゲームメカニクスだ。


 しかし本作の真にコンセプトにあるのは監獄のシステムによる管理の見立てをどれだけビデオゲームに落とし込むか、ということだ。その大元にはフランスの社会学者ミシェル・フーコーの見立てた「監獄の誕生」「狂気の歴史」といった社会の監視と管理に関しての書籍の影響がある。


 作中には「風光」と音読みでそのままなキャラクターも登場するし、そもそもの「ディシプリン」というタイトル自体「規律」を意味する言葉であり、フーコーの見だした社会管理システムの論の中核を為している言葉なのだ。


 フーコーがなぜこうした監獄を中心に社会が人間に与える規律や権力の問題を考察するようになったのかというと、それ以前から研修していたテーマと繋がるとともにフーコー自身がゲイセクシャルだったことも無関係ではないだろう。まだ現在のようにセクシャルマイノリティが社会的な立場を獲得する以前、1960年-70年代のフランスの前後で同性愛者は精神疾患とされ治療が必要であるとされた。おそらくフーコーの社会構造の考察は個人的な問題も含んでいるんだと思う。


 ”狂気”というものは社会の構造というものが設定し、それを矯正し抑圧していこうとする”規律”(ディシプリン)を人々に強いる。そうした社会の権力の構造を象徴したものとしてフーコーはジェレミ・ベンサムが考案したという監獄のシステム”パノプティコン” に注目した。

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 パノプティコンとは中央に監視塔が設置され、その周辺に監獄が円形に並べ一望することで管理を可能にしようとする監獄の形態だ。徹底した社会全体の利益や効率を目指す功利主義の代表格とされるベンサムは「社会の利益を上げるためには犯罪者の幸福度を上げることが重要」とし、犯罪者に社会復帰のための更正のシステムを敷くことをコンセプトとした。フーコーはこれを社会構造が人々に規律を敷き、社会にリスクとなる狂気や異常とされるものを抑圧するシステムの根源的な部分として見立てたのだ。


 「ディシプリン*帝国の誕生」の監獄の内部はこのパノプティコンをモデルとしている。残念ながらゲームメカニクスの面で決してフーコーの論説とのシンクロは上手くいっていない(もし西健一の「ちびロボ!」のメカニックとミックスされることがあらば獣のような傑作となっただろう)。

 しかし、プレイヤーにあるシステムやルールをその世界の中で強制させるビデオゲームの構造に何か照らし合わせようとしたコンセプトは、以下に続くビデオゲームたちが実践しているのだ。

 

「Blackbar」

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 iosのアドベンチャー。本作はスマートフォンというデバイスらしく、友達から来たメールをやり取りすることをゲームのモチーフにしている。だがしかし、送られてくるメールには不正とされる言葉が黒塗りされてしまっているのだ。プレイヤーは黒塗りの中に何の単語があるかを予測して入力していく。メールや文書の全ての黒塗りを埋めることが出来れば次のメールがくる。


 読み進めるうちにメールを黒塗りで規制していく存在としてコミュニケーションを管理する省庁が存在し、プレイヤーに警告の文書を送ってくる。やがてメールを送ってくる友人も管理省庁に不満をぶちまけるほか、規制と対抗するレジスタンスの組織がこちらと接触してくるようになる。

 作者は1980年代のユーゴスラビアで生まれ育ち、まだソ連が健在である時代に検閲の経験を経ているという。現在でもプライバシーの問題からステミングの問題によってに一定の規制をかける流れは進んでおり、規制された文書のやり取りの中で、言論の自由を巡る物語は今日的なテーマとなっている。

blackbarはiosで配信中

 ちなみにある程度英語出来るくらいでも難易度は凄く高かったので無理せず攻略見たほうがいい。なにネタバレいちいち見たらコンセプトと違う?結局ネット使って情報集めることが権力に対抗する一番安易で楽な方法なんだよ!もしもアルストツカにネットがあったなら?監視する街にスマホでハッキング出来たら?と思って次だ!

「papers,please」

 

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 架空の全体主義国家、というかソ連がモデルであることは明らかなアルストツカの国境線にて入国審査官として入国者たちのパスポートを調べ上げ、入国してよいか否かの判定を下していく。正確な審査をどれだけしたのかの結果が給料として反映され、妻と息子といった家族を養うことが出来る。失敗すればするほど家族が死に近づくため、生き延びるために非情になることも要求される。


 序盤こそ名前やパスポート期限の間違いを指摘していく程度なのだが、やがてテロリストが国境を無理やり乗り越え侵入し警備員を爆殺していくあたりから審査の基準が厳しくなる。独自的な基本ルールの習得から徐々にルールを加算させていき難易度を上げる成長曲線の配置も見事だが、ゲームが上達するほどに進行するアルストツカ国境での状況のなかで人々に対して非情になっていくという恐ろしいデザインとなっている。


 特に恐ろしいとオレが感じたのは、このゲームで快感を覚えてしまった部分にある。それは資料の矛盾を指摘し、テロリストを裸にひん剥き、隠し持つ武器を指摘し、IDを偽造する人間を指摘することで、警報が鳴り響く中を警備員に連れ去っていかせたところだ。


 ここにどうしようもないほどの権力を行使した快感と、自らが人間を規制するシステムと化す不快感が混ざり合う。自らは全体主義社会の一員として薄給で家族の生き死にを担保に仕事をこなさなければならないし、ゲームプレイの全ての中で権力のヒエラルキーを痛感させられることになる。社会的なシステムとゲームメカニクスが混ざり合うことで生まれる葛藤や不快がここにはある。

 そしてゲームメカニクスという規律に縛られたプレイヤーという悲劇、いや喜劇の問題をテーマとしたのが次のゲームである。

「The Stanley Parable」

 

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 観方を変えればビデオゲームの絶対的な権力者であるゲームマスターやデザイナーはルールやメカニクス、レベルデザインによってプレイヤーに規律を強いると言える。プレイヤーはある意味ではデザイナーの指示するようにしか行動できないし、極端に言ってしまえば画面に表示されるキーを押して進める作業とまで言えてしまう。そうしたビデオゲームとプレイヤーの関係を皮肉ったのは「The Stanley Parable」だ。


 全く意味不明な業務を行う主人公スタンレーの行動を通してFPSの持つゲーム進行をパロディにしたことがトピックであるが、個人的にはビデオゲームの構造をプレイヤーに提示する場合の題材とした世界観の方が印象深い。すなわちシステムやルールから生まれる権力による管理と規律である。


 思わず書いたこの文字の並びは60年代の全共闘のフレーズのようにしか見えないが、ビデオゲームのメカニクスとルールから進めるプレイヤーという構図は転倒させればそう見えてもおかしくはない。エンディングのひとつにはスタンレーの勤める会社が背後でまるでパノプティコンのようにモニターで全面的に監視しているシーンすら出てくるし、それはまるでゲームマスターやデザイナーがあらゆるプレイヤーのとる行動パターンを俯瞰して観ていることを示すかのようだ。

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 プレイヤーはゲームマスターであるナレーションが「左のドアを通れ」といった指示をはねのける行動を取るだろう。やがてプレイヤーの取る反抗によってゲームの世界は崩壊や破たんをはじめ、他のFPSジャンルへのパロディを始めたりやりたい放題を加速していく。

詳しいレビューはこちらで以前に行いました。

 ゲームメカニクスやデザインを裏返し、監視と管理と規律という世界を提示する。だが、そこにある観点が加わることによってゲームデザインがプレイヤーの行動を制限することで生まれる権力という構図を揺るがすのである。そう、スマートフォンなどの情報端末をはじめとする観点だ。

 

「Republique」

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 謎の全体主義国家による管理施設に囚われた少女ホープが、プレイヤーのスマートフォンに着信する形で救助を求め、監視カメラをはじめとした施設の機器にハッキングを行うことで脱出を目指すアクションアドベンチャー。

 

 施設中に張り巡らされた監視カメラ、そして施設のほとんどの人間やメール、バックグラウンドをハッキングして調べ上げることが可能になる。そのメカニクスはまるで権力を暴いていくハッキング行為であり、現在失速しているがウィキリークスが盛り上がった頃のような公開されない情報を暴き告発する行為が主流になっている。


 プレイヤー=少女ホープみたいな構図ではなく、プレイヤー=あなた、でありスマートフォンから(半ば極端なほどの)全体主義国家と施設が行う管理や規制というものを暴いていく。そうした形で分かりやすいくらいの規制や権力と対抗していく形だ。

個別に詳しいレビューはこちらから


 70年代から80年代までなら社会システムなどによってそこから外れるものを狂気として排除し規制するようになっていた。だが80年代半ばから90年代を超え現在までに、社会の功利的な管理や経済のシステムと交わることにより、急速に発達していったのはコンピューターによる統御などを代表にした情報媒体だ。現代の監視社会の発達にはそうした情報媒体のテクノロジーの進歩は無関係ではない。



 功利的な社会のシステムを運営していく上で利用される管理のメカニズムと、情報媒体の進歩、そしてそもそものビデオゲームの表現の進歩、その全てが交わる作品としてAAAタイトルの領域にてそうした現在の構図を表現したものが現れるのだ。

「Watch dogs」

 

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 「1984年」が生み出したヴィジョンや、フーコーが提示した監獄や監視をはじめとする社会システムの構造の側面を引き継ぐ形で、現在の監視社会を研究し続ける学者にデヴィット・ライアンがいる。

 ライアンは今日の監視社会のポイントにあらゆる側面での情報化のテクノロジーが加速する点を大きく取り上げる。社会を効率よく運営し、リスクを極端なまでに減らすシステムとして監視システムを設置するというだけではなく、経済や流通の効率をあげるためにクレジットカードの契約などなどで一定の個人情報を預けていくいくことなどの影響を指摘する。


 情報化の加速にする時代とともに、社会全体に恐怖を与える事件や事態が加わることでリスクを抑え込むための監視システムはさらに広がる。2001年の9・11以降のテロリズムの抑制は無論のこと、「watch dogs」2003年に起きた北米の大停電を作品の背景に置いている。この停電は膨大な金融赤字を出し、その原因に関しては諸説唱えられることになった。「watch dogs」ではハッカーによるコンピューターウィルス説を元にした世界観を取り、そのリスクから身を守るためにctOSによる街の管理が実現したシカゴを舞台としている。

 都市のインフラだけではなく個人情報まで一手に引き受けた、現在のリスク軽減のための監視化と、膨大な情報化が進んだ現在の環境をビデオゲームの都市オープンワールド構造に合わせデフォルメした形だ。まるで「1984年」のテレスクリーンの現代の解釈かのようだ。

 主人公エイデン・ピアースはctOSのシステムに介入する能力を持つスマートフォンによって、巨大な監視社会を利用する。それどころかゲームメカニクス的に他のプレイヤーも介入して来たり、本当にスマートフォンのアプリにてプレイヤーの行動を監視、その他に対戦を要求しに行くなどなど、現在の情報環境とそれに伴う監視というコンセプトを徹底しているのだろう。なぜ「だろう」ってまとめているのかというとそれはまだオレが遊べていないからであり、本格的なレビューはまた日本版発売後に続く……


 そのほかにも「Prison Architect」 などのシミュレータータイプの作品もあるし、場合によっては必然的に功利的なプレイが目的となる「シムシティ」さえも含まれるのかもわからない(デヴィット・ライアンは著書「監視社会」にてシムシティのゲームメカニクスを社会システムと照らし合わせて語る部分がある でも唐突でちょっと笑った)。


 シミュレーションならばより功利的に社会を運営していく構造を一連のプレイによって見だしていくが可能だけど、特に今回はビデオゲームのメカニクスとプレイヤーの関係がそのまま権力と管理に転倒したり、または情報端末によって権力やシステムに抵抗するという関係になったりと根源的なインタラクティブの関係がこうした形で見立てられているものをチョイスした。そういえば「MGSV:TPP」「1984年」へのイメージを重ねるつもりだとか。


 ゲームメカニクスによって繋がるビデオゲームとプレイヤーとの関係や構造にについては現在様々なところが研究開発しているけれど、リアリズム化の中で社会描写に接触していく中でこうした監視や規制、管理と権力をテーマとしていった流れがひとつあるかに映る。もちろんただの偶然だ。しかし意味深いそれだ。

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3.ビデオゲーム表現」カテゴリの記事

コメント

いつも拝見させてもらっています。
ゲームメカニクスはどこまで行ってもプログラムされた存在、そういった点を突き詰めたゲームというものも沢山あるものなのですね。

私は『サイレントヒル・シャッタードメモリーズ』を思い出しました。初代サイレントヒルのリ・イマジネーション作品であると銘打たれている作品です。
カウンセリングを受ける患者が妄想を回想めいて語った内容がゲーム部分という入れ子構造のゲームで、オカルト要素の排除、ゲームスタイルの変更など旧シリーズとは違った方向性に。その違いは冒頭での
「他のセラピストとは上手くいかなかったようだが、大丈夫だ」
といった発言から分かるようにセラピストによる管理・誘導によって生まれたものでしょう。(旧シリーズのシナリオを治療失敗案件にしてしまうとは思い切りがいいですね)

セラピストの誘導による介入を受けた世界は、自然な街並みに見えて患者が直視すべき様々な真実が散らばっています。そしてそれを拒むように変貌したおぞましい街並みと怪物の登場パート。それが交互に繰り返されるわけですが、今思うとまさにこれは目的とルールを与えて進ませるビデオゲーム構造とその道筋に抗ってみせる働きを、真実を気づかせようとするセラピストとそれを拒む患者に重ねていたというわけだったのでしょうか。

>megakumadoriさん

サイレントヒル・シャッタードメモリーズは未プレイですが、
内容を見る限りセラピストと患者という関係も
すごくゲームメカニクスとプレイヤー関係に重ねやすいと思います。
これは「to the moon」というアドベンチャー遊んだ時に
僕も思いましたよ これはセラピスト側が患者の精神や記憶に介入の構図です

メカニクスというものが社会システムの構造と重なることで
本エントリみたいな作品群が近年目立つように、
サイコロジカル関連での照らし合わせもまた目立ちますね

ゲームメカニクスそのものがプレイヤー(の操作の自由)を支配していること
歴史的に個人を支配する全体主義国家が存在した(いまもあるけど)こと
現代の人々がスマホなど情報媒体によって監視支配されていること
がリンクして「監視・規制・権力」というテーマの実感が深まってるんですね。
うーん哲学的でもあるし、表現としてもエンタメ性もあってたまりません!

私はこの手の話題を聞くとなんとなく江戸時代を思い出すんですよね。
連座制による相互監視、計画経済、学問の規制、宗教の規制、見せしめの死刑を行うなど恐怖による支配、といったソ連っぽいイメージと共通項があって
それらと同時に、庶民向けの芸術の発展、食文化の発展、戦争に関わらない分野の学問の発展、といった明るいイメージもあって不思議な気分になります。
300年も続いただけあって「監視・規制・権力」体制の完成版だと勝手に思ってるんですよね。
ただスマホはないけど。

まぁ最近も自由自由謳うアメリカが国内外盗聴しまくってることがバレて(そして誰もがやっぱりと思った)たりするので「監視・規制・権力」ってのは集団で生活する人間の生まれ持ったサガなんだろーななんて思ったり。

>sabooさん

社会主義の崩壊以降は堅牢な規律や規制によって縛るのと変わり、
情報化のテクノロジーの加速が社会のリスクを減らし、効率化を目指す
監視や管理と密接に絡んだのが現在、と今のところ雑に解釈しています

>なんとなく江戸時代を思い出すんですよね

そうすね、エントリ中にあるデヴィッドライアンの本を眺めていても
社会がリスクを減らすために相互監視や通報、規制を行っていたというのは
江戸のみならず、古くからどの社会でもあったことなんです

ですが、現在の監視というのはテクノロジーと密接に混ざり合っている点が大きく、
そうして出来上がった監視や管理のメカニクスというのがポイントと見えます。

以前の社会ではそうした情報化や監視のシステムやテクノロジーというのは無かったからですし、
特にリパブリックやウォッチドッグスがそうした環境を
ビデオゲームに反映しているために、注目に値すると思っています

(余談ながらライアンの監視社会論はこうしたテクノロジーの側面を大きく取り扱うため、
監視社会論の反論として、監視の本質を掘り下げるのにテクノロジーに寄り過ぎるのはどうか。
という議論もあります)

初めまして
The Stanley Parableをプレイしたのをきっかけに、このブログに流れ着きました
The Stanley Parableを一通りプレイして最初に思い出したのがMagical Windowsというフリーゲームでした
兼ねてよりMagical Windowsの考察を読みたいと思っていたのですが、該当記事や適任者が見つからないままでしたので、
是非EAbase887さんの解釈をお借りしたいと思いコメントさせていただきました
内容はニコニコ動画にエンディングまで網羅されているので、そちらで確認、できればプレイして考察していただければと願っております
ゲーム内容はThe Stanley Parableと全く違いますが、ここで紹介されているゲームで語られていることと共通しているような気がします

>hallo さん

The Stanley Parableはレビューもかなり厄介な書き方した割には
けっこう評判あるのでよかったなと思っておりますが、
フリーゲーム界隈はホント疎いままでさりげに凄い作品出てるのに
反応しきれなくなってます。(海外サイトでも窓の杜やふりーむ的なもんありますし)

Magical Windowsは完全に未見でしたが、
内容を見るにかなりのセンスを感じさせる切り口と感じます。
来月あたりにフリーゲームらへんももう少しアプローチしようかなーと

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