「Super Time Force」感想と考察 現在最強の一角カピバラゲームスの「時間」によるアクションゲーム再構築
アクションゲームやシューティングゲームでミスをしてキャラクターが死んでしまう演出が為される。その後には残りのプレイアブルキャラが差し引かれるか、またタイトル画面から再び同じステージが始まる。そこで前に失敗したところを覚え、徐々に操作方法や攻略の方法を覚えてクリアしていく。
こうしたビデオゲームとプレイヤーが疑いようもなく繰り返すこのサイクルは、マリオやロックマンの視点からしてみればまるで何度も同じ時間を繰り返しているかのようだ。「Super Time Force」とはひとつの次元の中で、何度も死んだりしても少し過去へタイムシフトして、すぐさまに復帰する。そこで少し過去の自分と共闘して先へと進んでいく。
だがしかし「同じ時間の中を何度も行き来してクリア」というメカニクスの面白さだけじゃない。「スキタイのムスメ」でポストピクセルアート(何かベクターグラフィックミーツ8bit16bitのあのタッチを表す言葉を知らないのでこれは便宜的だ )とゼルダの構造を逆転させ、現在から過去のゲーム体験や意味性すら洗い直し再構築したポイントアンドクリックアドベンチャーを作り上げたカピバラゲームスの最新作もまた、ビデオゲームのジャンルの構造に手を突っ込んでいる作り方をしている。
■TIME
プレイヤーは例えばステージのクリアーに向けて何度もミスしたりだとか、ボスを倒すために何度も挑んだりだとか、異なるエンディングやシナリオの流れを見たいとか、そうした理由によってアクションでもRPGでもアドベンチャーでも何度も何度もゲームを繰り返す。こうしたトライ&エラーのゲームとプレイヤーとの関係性、それを提示するのは突然ゲーム内のボスキャラだとかが「これはアクションゲームだからな」と会話中に突如発言したりすることじゃあない。そんなことで多くのプレイヤーはビデオゲームとの関係に切実になりはしない。
プレイヤーが切実にビデオゲームとの相関関係、それは「時間」をきっかけにするそのときにこそ、プレイヤーはビデオゲームとの関係と構造を知らされ切実になる。アドベンチャーゲームで「YU-NO」が、去年のFPSなら「バイオショックインフィニット」が「プレイヤーが何度もやり直すこと」に時間を繰り返し分岐するという世界観を提示することで、量子力学うんぬんがほとんど適当な疑似科学レベルだろうとアドベンチャーやFPSの構造を切実にプレイヤーにつきつけ続けている。
「Super Time Force」はトレイラーから感じられるように、クリエイターの過去ゲーム体験として「魂斗羅」「忍者龍剣伝」それから「ガンスターヒーローズ」「バイオニックコマンドー」といった高難易度のショットアクションの名をインタビューで挙げている。ファーストステージの時点ですぐに死ぬほど難しくて何度も何度もトライ&エラーを繰り返すあの原体験が元だ。
広範囲に弾をばら撒くソルジャーから壁を貫くスナイパーなどなどのショットアクションらしいプレイアブルキャラをステージの開始時にひとり選ぶ。「スーパーマリオ」のようにステージに時間制限がある中で、厄介な敵たちと銃弾をすり抜けながら戦うスタイルだ。序盤から攻撃は激しく当然のように死ぬ。
だがそこで終わりはしない。ソルジャーが銃弾を受け断末魔を叫んだ瞬間に時は巻き戻り、0.7秒過去のある時点から別のプレイアブルキャラを送り込むのだ。そこでさっきまでプレイしていたソルジャーが闘っているそばで共闘したり、または死の原因となった敵の排除や銃弾のガードによって運命を変えるなどの方法を取ることが出来る。
過去の死の運命を変えたらどうなるの?ねえタイムリープし続けるってことは別の可能性の世界に突入して並行世界へと分岐していって…だなんて詮無いことは無しだ。「時」そのものを合理的にテーマにしたもんじゃない。繰り返すように「時」は高難度のショットアクションの構造を露わにし、プレイヤーとビデオゲームとの関係をシリアスに提示するきっかけにすぎない。時間軸の整合性なんてどうでもいいと言わんばかりに、過去に戻り死から救ったキャラとはそのまま融合して能力をもらってパワーアップする。
何度も繰り返される死(または意図的に過去へのタイムリープ)から同じステージを攻略をし直すトライ&エラーという関係。そして過去へと戻り、死ぬ少し前の自分との共闘または救出。これはプレイヤー一人でco-opの自作自演だ。ボス戦になれば死による過去へトライ&エラーの数は膨大となっていき、MMOのボス戦をクランを率いて闘う構図をもたった一人で自作自演する形のようにさえなる。
これは「魂斗羅」の系譜のショットアクションから最近のポストピクセル2Ⅾプラットフォーマ―のオンライン協力も当たり前にあるショットアクションに至る現在までのコンテクストを編み直し再構築していると言える。しかしこのジャンル構造を露わにしようとするコンセプトまでなら飯田和敏や須田剛一やら西健一などなどでも至れるが、ゲームメカニクスとして操作する面白さや新鮮さ、そしてゲームと勝負するために戦略的に振る舞う競技性、そこまで突き詰めている。だからカピバラゲームスは驚異的だ。アーリーアクセス中の「broforce」と本当にコインの裏表というくらいであるし、意図的が偶然かショットアクション現代再構築の二極のようになっているかに見えるのも可笑しい。
「broforce」こちらはブロックバスターアクション映画の主役使ってマップをぶち壊しながら敵を駆逐していく co-opで集まって遊ぶのが面白そうな感じ
「時」、それは生命誕生までの過去から地球崩壊までの未来にまでタイムワープするということすらできるがために、逆を取れば様々なジャンルの世界を総取りで集めてバラエティ豊かにでき、そこでジャンルの俯瞰なんてことさえできる。「クロノトリガー」ではある程度のテクノロジーのある現代を軸にして、勇者が魔王を倒すRPGの典型的な世界の中世、人類存亡の危機で悪辣なメカが蠢くディストピアSFの未来などなど、おおよそ当時のRPGジャンルを一種総括してる側面もあっただろう。「Super Time Force」もまたおもいっきりパロディの形だけど最近大流行りなポストアポカリプスからエアカー飛び回る未来に至るまでフォローし、FPSからTPSなんかで選ばれる題材の傾向までもある意味総括。してい…るだなんて言ってしまうとまあ行きすぎか?
「スキタイのムスメ」に続いて今回のでオレは大変に凄まじいと感じさせられた。今の膨大な過去アーカイブから現在の趨勢までのコンテクストをグラフィックからサウンド、もちろんゲームメカニクスまで読み解き再構築するというのはどのレベルのデベロッパーもやってることで、ダウンロード市場の中軽量級規模のゲームでは特にそのコンテクストを巡る闘いが過激。カピバラゲームスはそのなかで最強候補の一つであるには違いない。言い過ぎか?いや作品歴を観るに、ある意味上田文人から西健一とかあの辺の美的な部分を結集できているようなチームみたいなもんだろ!この次にはローグライクの「BELOW」も控えてるんだけどこれもやはりトータルに切れた出来を思わされる。
ってことで「Super Time Force」は今んところXBOXLIVEでリリース中。他のプラットフォームでも配信されたら必見。
« 世にも奇妙なUBI | トップページ | 今年の最高傑作の候補「Republiques」 手のひらの監視社会 »
「2.中軽量級タイトル」カテゴリの記事
- 「空手マスター2」と永遠にe-sportsに選ばれることのない格ゲーの思い出(2015.12.10)
- 「Downwell」クリエイターズインタビュー”前例があまりないから、開発を通して理解していった感じですね”(2016.01.24)
- 個人ゲーム制作者の暗黒を語るゲーム「The Beginners Guide」感想&考察(2015.11.18)
- 「Downwell」レビュー SpelunkyとNuclear Throneがスマホにて交錯した感じ(2015.10.27)
- 今年遊んだ海外のフリーゲーム傑作おすすめまとめまとめ(2015.11.24)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント