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2014年5月15日 (木)

海外ビデオゲームのファンに意味深く刺さるだろう小説3選

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ここのところの海外ビデオゲームに触れていると、意外なくらい描かれる世界や物語の根底に古典小説を想起させることが少なくはない。実際に製作者のインタビューでもインスピレーション先として名前を挙げていることも多い。とある小説はいかにしてビデオゲームに影響を与えたのだろうか?

 ということで今回は古典小説より俯瞰する海外ビデオゲームのイメージに関して。ちょっとした当ブログ・ゲームスコープサイズのベスト盤の意味も込みのエントリ。


1・「闇の奥」(ジョセフ・コンラッド)

⇒「spec ops:the line」「Far cry2」への影響


 コッポラの「地獄の黙示録」の原作として有名でもある「闇の奥」は近年になってビデオゲーム界隈でそのイメージを実現するようになった。しかしそれはなにを求めての事なのか?        

 「spec ops:the line」にしても「Far cry2」にしても基本的にはシューターの体裁を取っているが、その内容は異質だ。ともに「闇の奥」の影響を受けながら、一般的なアメリカ海軍のシューターのような無条件でロシアや中国のような仮想敵を作り上げて戦場を演出することから距離を取っている。


それはドイツのデベロッパーゆえの距離なのか。「Far cry2」はカナダのUBIモントリオールが製作してるわけだけど、とりあえず本社はフランスであり、いずれにせよズブズブのアメリカ本土の感覚とは距離を置いた位置にある。(なので、UBI作品はビデオゲームシーンの中でも常にメインストリームでありながら、どこかジャンルの構造的な部分や批評的アプローチを保持してるように感じることが多いけれどそれはまた別の話ということで・・・)


 ではこの小説の何が以上のゲームに影響を与えているのだろうか?「闇の奥」は主人公の船乗りマーロウが、ある時にアフリカに行くことを思い立ち、フランスの貿易会社に入りアフリカへと向かう。その未知なる場所で、現地の黒人と象牙を取引きを行っていることや鎖に繋がれた奴隷という光景を目にする。

 そしてマーロウは貿易会社の幹部になれる資質を持った人間・クルツが失踪した話を聞く。マーロウは長いジャングルから岩山を抜ける中央出張所へ向かう厳しい旅のなかで、クルツの噂を聞く。

 やがてクルツの居場所が発覚するのだが、そこではなんとクルツは現地の住人に神のように崇拝されており、そこには同じくヨーロッパ人さえも含まれた狂気のコミュニティを築きあげていたのだ。しかし、マーロウがクルツと出会う頃には、すでにクルツは死の淵にあった。


 「闇の奥」ではこうした内容に関して様々な解釈が為される。ヨーロッパによるアフリカの植民地化といった闇という側面。こうした背景と、一人の男クルツを追う形というのは「Far cry2」のメインになっているし、「spec ops ; the line」においては当時のアメリカ中東戦争へのイメージをその背景に重ね合わせている。そして当時としては未知なる場所で、精神の闇へと落ち込んでいく側面などなどが重なる。


 アメリカ海軍的な価値のシューターがここまで世界的に広まっている中、そうした流れへのある種のカウンターとした作品が「闇の奥」をどうあれ参照している側面には「半ば帝国化した国による侵略や制圧」の暗部そのものが未だ現代では生生しく、テーマが繋がっていることにある。それは現実のアメリカから、ビデオゲームのAAAタイトルまでに至っていたためにそうしたアプローチが必要になったのだと見ている。


2・「1984年」(ジョージ・オーウェル)

⇒「papers please」「The Stanley Parable」「republique」


 イギリスの作家オーウェルが生きていた時代ではロシア発のマルクスの共産主義運動がイギリスのインテリ層にて普及していたのだが、当時のオーウェルが見たその支配階級を打破して搾取の無い人民のための社会というイデオロギーに反して結局禍々しさは「動物農場」にて皮肉に描かれてきた。この時点ではソ連の状況への寓話で終わっていたのだが、その後の本作「1984年」ではさらに推し進められ監視と管理社会という世界を提示した。


 ソ連が崩壊して共産主義思想・全体主義というテーマは現代では風化した印象はあるのだが、ところが情報メディアの発達と同時に安全を目指すことを名目とした社会の監視や規制といった状況自体は強化されつつある。「動物農場」はスターリニズムとそれを支持する当時イギリスのインテリジェンス勢への皮肉という側面が強いため、いまでは風化した寓話の感があるが、「1984年」が未だに深い暗示を放ち続けているのはこの点だ。



 こうした状況ゆえなのか不明ながら、近年に全体主義社会や監視社会をテーマに、それがゲームメカニクスやルールとさえ混ざり合う作品がここのところ頻発している。架空の全体主義社会の中、国境線上で入国手続きを行っていく「papers please」や、スマートフォン・タブレットというまさに情報デバイスの最先端にて展開される監視社会にハッキングするアドベンチャーである「Republique」などなどがリリースされている。その他に「ビデオゲームとFPSというシステムに関わるプレイヤー」という関係そのものがゲームマスターに行動を監視・管理される従業員という寓話にした「The Stanley Parable」などが印象深い。



 「1984年」
は”ビッグ・ブラザー”に象徴される支配者層による監視社会体制が主に描かれていたのだが、現在ではもっと階層が進んで各々が情報デバイスを持つことによる相互監視社会という部分も生まれている。そのインターフェースと全体主義社会というシステムのそれぞれがゲームメカニクスに混ざり合うということから、ソ連が崩壊して20年以上が経過しているのに、近年に突如として監視社会・全体主義社会のテーマのビデオゲームが登場しているのだ。

3「ザ・ロード」(コーマック・マッカーシー)

⇒「the lust of us」「the walking dead season1」

 アメリカの現代小説家の中で、特にアメリカーメキシコ間の国境線による差異というものが大きく描かれることが多いコーマック・マッカーシー作品だが、その国境線の間を巡る無慈悲な現実というのを極限まで突き詰めていけば、それは世界の崩壊した風景の無慈悲さとも変わらないのかもしれない。


 「ザ・ロード」はあらすじとしてはSFめいているためマッカーシーのビブリオグラフィーの中でも異色であるには違いないのだが、これまでのテーマの根源を抽出した作品だとも言える。まさに無慈悲な現実、そしてその世界の中で生き方を知ろうとしていく名も無き少年と、それを導く父親という構図だ。

 ビデオゲームで無慈悲な世界の中に放り込まれるプレイヤーは二つの役割を同時に授けられる。一つは、その介入した世界について何もわからない、まだ無力であるという側面。それは「the last of us」のエリーや、「the walking dead」のクレメンタインに現れている。そうした彼女たちを導く、プレイアブルキャラクターとしての強い行動が可能である(だがしかし、未知で無慈悲な世界に対し動揺を覚えている)親の役割がジョエルやリーに現れている。

 どちらにせよゾンビ・ポストアポカリプスであるにかかわらず、そのジャンル映画的・ジャンルゲーム的にとどまらない何かがあるとするならば、そこにマッカーシーの示したようなテーマに重なる何かがあるからかもしれない。そうした面に注力した理由はビデオゲーム上におけるAIの進歩か。それとも女性描写の変化か。それともビデオゲーム主要年代が高齢化したことによる変化だろうか。

 いずれにせよ、マッカーシーの無慈悲な世界から生きる術を得ていく旅路と、ゾンビやクリーチャーが溢れるようになった世界で生き抜く擬似的な親子となった主人公たちの旅路は繋がる。このあたりの詳しい話は以前のこの記事をご参照ください。

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8.映画・小説・漫画」カテゴリの記事

コメント

洋ゲーの話題になるような作品は過去の名作や古典からの昇華が上手いですよね。
日本のポップ(サブ)カルチャーだとどうしても引用元のポジティブな側面や尊敬と憧れといった表現しか出来ずに、現実を想起させるにいたれないで終わってしまうことが多いですね。

イシイジロウ氏のタイムトラベラーズでは、国産タイムトラベルSFに対する敬意はあっても現実とのリンクは感じられないし、ルサンチマンが失業者問題という現代の闇を想起させようとするもタイムトラベルという大モチーフとはミスマッチに見えて、全体的にちぐはぐに感じました。

メトロ2033とか人気小説原作が良かったりするから
日本なら東野圭吾の新参者シリーズ(できれば「赤い指」)を原案にゲームとか作れば面白そうなのに(しかし現実はせいぜいガリレオシリーズになってしまう……っておい)

> saboo さん

そうすね、なにかあるテーマを掘り下げた結果
あるゲームなりある小説なりが繋がっていく印象はあって、
その辺のテーマのシリアスさはどうあれ最近の作品を見ていて
とみに感じます。まあー「ソプラノズ」と「GTAV」マイケルの中年の危機だとか…

ところで今回海外作品に絞っちゃったんで書きそびれましたが、
日本でもとある小説の影響下にある有名作品あるんですよ。
それは、言わずと知れた「MOTHER」シリーズです。
この作品はアゴタ・クリストフの「悪童日記」3部作に影響を受けていて、
「3」主人公のリュカとクラウスってその主人公名の引用だったりします。

どひゃー、ちょっと調べてみたのですがかなりブラックな物語ですね(汗
MOTHERかぁ。

小生この中では1984しか読んだことないでござる。
 
saboo 氏の仰られる「日本のポップ(サブ)カルチャーだとどうしても引用元のポジティブな側面や尊敬と憧れといった表現しか出来ずに、現実を想起させるにいたれないで終わってしまうことが多いですね。」
には大いに同意いたしまする。
 
日本のゲーム、アニメ、映画、ドラマ、漫画の多くはオマージュとパロディを履き違えたクリエイターが多いでござる。小ネタを流用しても物語の構造やテーマを流用する作品は少ないと感じるでござる。
多くの海外文学の名作のテーマ、構造は普遍的な人間の悩み、恐怖を含んだ寓話的な部分が多いでござる。
 
日本の文学は、読者が感情移入できるかどうか、読んでて気持ちがよいか(文体を含む)がポイントになってる気がするでござる。そこには日本人の多くが日本語を読めることに起因しているきがするでござる。ゆえにレトリックのリズム、キレイさが内容のクソさを覆い隠しているきがするでござる。
日本のアニメやドラマ、映画、RPGがいまいち一皮剥けないのは表面的な部分のきれいさのみ求めているからではないかと思うしだいでござる(日本の俳優もキャラも、どんなに熱くても脇汗ひとつかかねーでござる)
 
もっといえばオマージュ元、構造を解説する批評家の不在が日本のコンテンツを腐らせ、
さらに耽美的な方向に加速しているでござる。
藤原達也の発狂するシーンで悔しがるあの感じが是とされる、演劇(藤原達也)と映画(カイジ)とアニメ(カイジ)と漫画(カイジ)の演出のバッドクロスオーバー。

いや、あのね海外だってクソはたくさんあるんだけどね…。
 
とりあえず悪童日記と他2作も見るでござるよ

>ネームレス剣心さん

そこまで僕は日本のクリエイティビティには悲観していなくて、
海外文学とはいえ「闇の奥」も「1984年」もオリンピック金メダル3連覇クラスの
伝説的なレベルの作品であり、欧米の文学であろうと一抹の現実や寓話性も含まれず
消えていった(もしくは、評価され直し歴史的位置を獲得してない)ケースも
多々なわけです。

以前の記事で小ばかにしてましたが、アニメ嫌がらせブログ立ち上げついでに
ざっと日本の深夜アニメ界隈みてても
(ぜんぜんシナリオには現れていないとはいえ)なにか極めて美しく情緒的な瞬間を
映像として捉えようとしてるというのはあるわけで、
日本式にそういう美意識なりを見だすところはあります。

以前は僕は日本ではそういう現実や寓話の暗示をゲームに求める場合は
ガンホーにも山岡晃も加入する前のグラスホッパー・マニファクチュア作品がそうでした。
牙突!

日本にもクリエイティブ意識の高いクリエイターはちょいちょい見えるんですけど、見る機会がものすごく少ない気がします。
自分からかなり積極的に探さないと見つからないというか。
あと基本的に良く言えば写実的なクリエイターが多い気もします。
そのため自分で見たもの感じたものなら描けるのですが、他作から引用しようとしても表面しか描けないんですよね。

そもそも海外からクソゲームやクソ映画クソ小説は輸入されない、というのはあるのですが、
莫大な広告費をかけたAAAタイトルゲームやハリウッド映画はちゃんとエンタメ性とアート性を両立できているのがほとんどだと思うんです。
誰が観ても楽しめるし、(偶然では無く制作者が狙って)深みも感じられる。

日本でも業界や企業が一丸となってそういった作品を作ろうとした足跡は見るんですけど、今は諦めちゃった感が強いです。
やりたければ、インディーズでクラウドファンでぃんぐでもするか海外のスポンサーでも見つけて来れば?どうぞ。みたいな態度です。

>sabooさん

たしかに日本であんまオーバーグラウンドの方面ではなかなか観なくなりましたね
アメリカのハリウッドやらAAAタイトルやらは、まず映画とビデオゲームは市場が違うので
一括りにはしないにしても、映画に限ればアメリカなどは全世界に輸出するし、
国内でも様々な人種やマイノリティのサイドが存在するからそこも考えて構築する必要がある。
日本のシネコンでかかるようなビッグバジェットのものはほぼ国内の市場で固まっていて
あんま海外に輸出したりする方法やモチベーションのものが弱いと言われてますね。

映画の方面で話進めてますが、実際日本もインディペンデント映画の方面でそれ頑張ってるケースが多いす。

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