特殊任天堂論・近年の任天堂に見られる「2Dと3D」の間を行き来するデザインのヤバい現代性
前回の「8bit16bitリバイバル」のエントリ と半ば地続きのエントリ、ビデオゲームの2Dと3Dの歪つな溝についてのエントリです。書いてるうちに特殊な任天堂論に突入してしまいました。
ビデオゲームの3DCG時代に突入して以降のゲームメカニックは単純な3D空間を自由に動けるというだけではなかった。現在メディアの中で大衆性と芸術性を併せ持ったトータルメディアの先達である映画表現と繋がることにより、加速度的に映像や動作モーションの洗練化が起こり、結果ビデオゲームからグラフィックからゲームシステムに至るまでのあらゆる側面での記号性が消えていった(変容していった)と思う。現行のAAAタイトルを思い出してみても、その強力なグラフィックや演出力がどれほどゲームメカニクスを越えて印象を変えてきたのだろうか?
しかし2000年代の半ばも過ぎたころから2Dの8bit16bitリバイバルが起こったとともに、意識的に2Dと3Dを行き来するという、ビデオゲームのパラダイムの転換部分に触れる歪なビデオゲームが少なくなく登場してくるのだ。ここを掘り下げてくとインディペンデントから老舗任天堂までに及ぶ、ゲームデザインの一種の現代性が見えるんじゃないか?
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