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2014年1月19日 (日)

”セックスか殺人を知った子供”のモードとして眺める深夜アニメ・ライトノベル・それからJRPG(またまたまた追記あり)

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 最近は「ブラザーズ:二人の息子の物語」から「LIMBO」「papo&yo」などなどのパズルアクションを遊んでいたのだけど、面白いなと思うのは主人公がみな少年のジュブナイルにあたるような物語ばかりだったりすることだ。振り返れば2001年の「ICO」なんかも結果的にそうだったりするし、勝手なことを言えばちょっとしたこの傾向を考えるにアクションのメカニック、そして敵を殺しまくって経験値の蓄積による進行なしにほぼパズルを解いて進行するといった構成のそれぞれの純粋性ゆえに”世界を知らぬ少年の冒険”になるのだろうか?(もちろん、多くの例外が存在する。)


 対置して”敵を撃ち殺す”というメカニクスを搭載したFPSやシューターになると、「GTAV」から「bioshock infinite」に至るまで主人公は中年期に突入。そしてその後をどうしたらよいのかに戸惑っている。適当なこと言えばジャンルによる明確な目的や勝敗といったルールを持った世界で主人公になるのは世界や社会のメカニクスや役割を得た中年になるだなんて思ったりもした。(もちろん、これらは特殊ケースでもあるので例外はある)


 主人公に代表される子供(思春期まで含む)から社会的な役割を持った大人の目線の差の問題。外国(欧米圏)のゲーム(ないし漫画から小説映画)ばっかり見てると子供と大人の目線や役割というのが完全に分かれている。そうした目線になって振り返ると日本の一大サイクルを気づいているライトノベル~深夜アニメ、もしくはJRPG周辺の思春期なのに世界を救う戦いだのの旅路を行く主人公たちというのはオレには露悪的に言って”セックスか殺人を知った子供たち”の一大絵巻となっているかに見えるのである。というわけでド偏見だらけの外野席からのラノベ、アニメ、それからJRPG界隈に関しての雑記。

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 twitterやっていたらこのようなエロマンガ雑誌の広告と思われる画像が流れてきて「女子高生はセックスを知った子供です」とあった。正直とてもゾッとしたのと同時に官能的な部分が半々に共存する感情を覚え、コピーということでは優れた仕事したんだと思うと同時に「そうか、エロ漫画はじめ同人誌経由で繋がってる深夜アニメ・ラノベ界隈からのシーンに見られるようなクリエイティビティのほとんどが考えてみれば子供で、しかもセックスか殺人を知った(っつうかそういう目線に置かれた)子供なんだ」なんて思ったのだった。萌えはじめ女の子(時に男の子)はセックスを知った子供目線に置かれてることからもう一つ話広げれば、平然と残酷極まる殺戮の現場や武器を持つ男の子(時に、いや最早女の子が主?・笑)なら極端に露悪的に言って”殺人を知った子供”ということになるだろう。

 ガチガチに少年の夢想と発達をテーマにしてるようなジュブナイルというものというのと大人の人を殺す職業というのが分かれてる領域と比べて日本のラノベアニメゲーム周辺の領域の主人公が思春期どうこうばかりがメインにだなんてカビが生えたような意見ではあるのだが、ふと久々に眺めてみるに膨大なセックスか殺人を知った子供たち感が半端じゃねえなあなんて感じ入り、ニコニコ動画の今期のアニメに膨大にラインナップされるそれらは遠目には意識的にやっているのか、いややっぱ無邪気なのがほとんどだろうセックスか殺人を知った子供たちのモードであるかのように映るのだった。


 セックスか殺人を知った子供を描くクリエイティビティ(一言で言っちゃえば萌えアニメ)に対して反発的にやろうとするアニメもノイタミナ周辺で見かけるが、なぜなのかやくしまるえつこから岡林靖幸を主題歌に起用することに代表されるようなサブカルチャー界隈に位置するような方向に行っちゃうことがほとんどのようにさえ見え、なんだか深夜アニメ界隈のクリエイティビテイは町の本屋で例えるならアニメイトとヴィレッジバンガードの二件しかない町であるかのようである。クリエイトの精神年齢もそれこそ中二病なんてネタになる14歳から、それを小ばかにする割には大した代案も持ってないサブカル寄りの21歳のちょっと気の利いた大学生くらいまでしかない(アニメとかラノベの感想書いてるブログは全員このくらいの年代に見える)。シャフトの演出のクリエイティビティなんてまったくそれ。


 この視点でアニメなど振り返ってとああやっぱりその辺の無邪気に残酷なクリエイティビティに関して上手く表現してたなと改めて感心しきるのが結局「エヴァンゲリオン」だったりする。あれのセックスと殺人に関わる子供の葛藤ぶりと憂鬱ぶりはそのままクリエイションしていた庵野秀明自身の持ちうる「僕らには何もない、コピーしかない」といった言葉に象徴される日本深夜アニメ周辺のクリエイションの限界点を示すかのようだ。(はてなにて今更エヴァかよともあったが、エヴァ以上にそのモードの葛藤にまで届いた作品無いから)さらにふりかえって富野監督作「ガンダム」も”殺人を知った子供”って意味で考えれば非常にうまく表現してると言える。(最近も富野氏の「進撃の巨人」批判があり、過去にもエヴァの批判も行っていたがありゃあ同族嫌悪というか近親憎悪のようなもんだ

 逆にドリームワークスやピクサーがやっているような「ヒックとドラゴン」「シュガーラッシュ」のようなシビアな大人が少年少女の夢想や成長を描くようなジュブナイルをリアルタイムで研鑽される高い技術で作り上げたって作品が本当に日本での成功作がほぼまったくと言っていいほど無い。たまに子供の夏休み映画を狙ってCGアニメからセルアニメのジュブナイルが上映されるが、すごく座りが悪く見えてしまう。本当に東映まんが祭りくらいまで戻らないとなかなか見当たらない。ジブリがそうじゃないかって?あれこそ日本国民規模で許容してるセックスと殺人を知った子供たちの劇場アニメだよ!

 


 現行アニメ・ライトノベル・一部JRPGシーンはセックスと殺人を知った子供たちを中心としたモードに特化しているゆえに、その点でのリアルタイムで楽しめる強度はものすごく優れている。日本でもぶっちぎり。一方、作品が未来や過去に繋がるような歴史的な永続性が半端じゃなく弱い。優れている作品あってもすぐ忘れられ次のモードへと向かう。最終回を迎えた翌年から猛烈に絵柄まで古く見えかねなくなるほど古びる。「エヴァンゲリオン」くらい事件を巻き起こし時代性とシンクロする1・4小川vs橋本ぐらいのことしない限りちょっとした永続感は生まれないくらいだ。

 主人公として描かれる視点に子供はどこまでも子供の視点であり大人はガチガチの社会や世界を理解している上の視点であるという前提が無くて、直接セックスと殺人の欲望ばかりを投射しているかのようであるゆえにラノベ・深夜アニメ・一部JRPGのモード感の強さ、そして異様さは際立っているかのように映るのだった。


追記 ついでなのではてなコメントなどへの応答など


 さてかなり広まったようなのではてなブックマークなどちょいちょい遠隔的な形で頂いたコメントを見てなにか面白い意見あるかな?と眺めてみたのでいくつか返答を。

 rag_en さんのような「日本語で書かれてる文章なはずなのに、何が書いてあるのか全く理解できない。」といった意見を代表に”最初から議論に参加することもなく、直接的な否定にすることなく半ば皮肉で気取る。でも実質子供の脊髄反射の苛立ち”というまさに遠隔コメンテーターはてならしい意見が散見され、人間がはてなブックマークをいう環境を得ることによって自分自身で否定意見をいっているのではなく、はてなブックマークという環境に意見を誘導されてるとしか思えないみたいな人々を大量に見られたので笑った。ソーシャルネットワークのアフォーダンスに導かれ生まれた白痴。


 特に文章が全く読めていないバカと思ってしまったのはmiruna さん。「サブカルは死ねというのはこういう駄文に対して貼り付けるもの。この手のセージュクした大人気取って説教したい欲のために利用される作品が不憫。」 まさにこいつの反応はアニメラノベオタクのコインの裏側としてのサブカル敵視という実り無い相反を象徴するかのようで、雑誌に例えるならアニメージュとクイックジャパンしかない窮屈な図式そのものみたいな典型的な奴と感じさせた。

 その一方のこの記事では「ジャンルをここからここまで扱う」前提が雑なのも否定しないし、GEGE さんの「流石にその前提は死にかけて異能に目覚めるよりもリアリティがない……。」などはちょい読み返してそうだな、と。ここ書き方悪かったです。

 また wannabenews さんの「ラノベとゲームの話がない……」というのは文章量がもっと膨大になっちゃうのでアニメシーンの話に絞ってしまったので申し訳ない。いつかテイルズかペルソナをネタに続編を作ります、たぶん。



日本のジュブナイルネタ雑にとりあつかってすまん!と言いつつ反論


 
 

 かんっぺきに大切なクリエイター忘れてました・・・このあたりの記述に関しては申し訳ない。そうだ原恵一作品というのはほんとに「オトナ帝国」といいピクサーばりの規律でもって作られていた、かなりメジャーを突くものでしたね・・・(「マイマイ新子」は未見です すいません)

 しかしこうまで優れた作家である原恵一でもあるけど、「カラフル」らへんからものすごくアニメシーンへの反発的クリエイトになってる。で、そこで否定して何を選ぶか?というとそれが木下恵介や小津安二郎といった、昭和の日本映画の大家と呼ばれる演出といった方向に行く。これもオレは一種の息苦しさを感じざるを得ないのだがどういうことだろう。今敏とか凄い「パプリカ」とか実写の名作映画を引用するけどこれがキツい。


 なんにせよアニメ史的な初期のディズニーからの進歩の正史と別に、初期でこそ日本でもそうした方法から作り上げていたのだが、日本では日本なりのリミテッドアニメに代表される大量製作による独自の歴史発展を展開、で紆余曲折あってすげえ14~21歳くらいの作り手のクリエイティビティから実際の作品設定さえ含む世界観や認識による欲求をすげえうまく表現したモードが中心にあって、反発してサブカルか実写映画みたいな構図という感じに映るのである。で、そのモードの強さってのが不思議という話でした。

さらなる追記をひとつ

 この話題、結局クリエィティビティの構造の話ではなくアニメの中で描かれる大人子供か?みたいな描写の視点に賛否の反応ともに収束してしまったのは書き手である自分の書き方が相当に悪かったせいです。読んだ人みなさんごめん!特にちょっと突っついたら冷静さをみるみる失ったタグを張りまくってたmiruna くんつい笑ってすまん!こっちが悪かった。君は日本最高のモードを追っかける神と言って差し支えないです。


 このあたりのテーマをどうせならもう少し書くか、ということで本記事の続編としてしばらくみてなかった日本アニメを眺めてみるかってことでもう一個ブログ立ち上げました。タイトルはちょっと変えて最悪偏見のアニメレビュー”14ー21歳のセックスか戦争を知った子供のモード”としています。続きはこちらでお会いしましょう。
 

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8.映画・小説・漫画」カテゴリの記事

コメント

思えば特異な文化ですよね(特異じゃない文化が果たして存在するのか、という問題は脇に置いておくとして)。
恐らく、日本のマンガアニメ文化では暗黙裡に制作、消費両サイドに共有されている前提があるんだと思います。「10代の少年少女が現実なら大人が直面するべき状況に置かれていても何もおかしくはない。日本のマンガやアニメとは"そういうもの"なのであって、それを突っ込むのは野暮なのだ」という前提が。

マンガアニメにしろ、一般的なJRPGにしろ、主役はほとんどみな十代の少年少女であって、一歩引いて考えればこれって少年兵そのものなんですよね。
最近の作品だと『まどかマギカ』なんかもそうでした。魔法少女が人類の発展にまで関わっているという壮大(悪く言うと荒唐無稽)な設定ですが、しかしそれが少年や中年のおっさんではいけない十分な理由は示されていない。もちろんこれはもう「魔法少女ものだから」としか言いようがないでしょう。

つまり、根本的に「おかしい」世界設定を、みな分かっていながら「おかしくない」ものであるかのように扱っている、という気がするのです。
記事の一節に
>作品が未来や過去に繋がるような歴史的な永続性が半端じゃなく弱い
とありましたが、もちろん、これは単に流行り廃りのサイクルが速いだけかもしれませんが、この「荒唐無稽さ」から説明できるかもしれません。

大半のマンガアニメの作品内世界は主人公が少年少女でなければならない理由を説明できず、そこを「お約束」として処理している。結果としてその作品内世界は不完全で、リアリティや強度が弱くなる。
乱暴な言い方をすれば作品内世界に魅力が無くなるのです。その結果、キャラの寿命=作品内世界の寿命、あるいは、キャラの作品内世界からの離脱=作品内世界の寿命となってしまうのかもしれません。
キャラクターは作品内世界無しでも成立しますが、作品内世界の方は恐らくキャラクター無しでは成立しないでしょう。

一方で、それに対するキャラクターの寿命の長さや柔軟さは特筆すべき事です。マンガアニメの主役は恐らく「キャラクター」なんですよね。作品内世界はキャラクターとセットになっている限りで魅力を持つが、キャラクターは作品内世界無し(あるいは極端に希薄)でも魅力を持ち続ける。
これは特に二次創作で顕著ですが、最近では公式サイドがそれをやっているケースがあり、キャラクターをそのままに世界観のみを変えた作品すらあります。
日本のマンガアニメ文化を読み解く鍵としてキャラクターという要素は無視できないように思いますね。

「殺人、セックスを覚えた子供」に関しては、子供の願望や妄想(強なりたい、闘うのは格好良い、恋愛がしたい、etc...)が、幼さゆえの瑕疵や限界を残したまま(例えば、マンガアニメにおいて戦いの悲惨さや残酷さはマイルドにされる傾向があるし、恋愛も予定調和的なものが大多数)作品として形になり、市民権を得ている、という見方はできるかもしれません。
「なぜ少年でなければならないのか」については私は正直分かりませんが、これは色々な視点から見ることができそうです。

それと、これらはあくまで典型的なケースの話で、数多くの例外やグレーゾーンの存在も一応言及しておこうと思います。割と思い付きで書いてしまったので参考までに。

>華麗なる鍋奉行ひろや さん

いやーtwitterやらはてなブックマークやらでボロクソの記事ですが、
かなり「ラノベアニメゲーム界隈と一括りにするもどこからどこまでのものをどの程度扱うか」の
様々な前提が荒いままの記事になってしまってるのは否定できないので、
結局印象論(まあ他人のむかつく感想)の枠をあんま出てないところに突っ込まれる意味で
buzzってしまいました。(笑)

傍目にはラノベアニメゲーム界隈はすげえ14-21歳くらいの
特に規律無視(※規制うんぬんじゃないすよ デザインやクリエイトの話)の欲求
直に投射されてんので、そういう欲求は瞬間的なもんでもあるのから
文脈もクソも最初からないためアニメ批評も碌なレビューがないっつうか。
(これは氷川竜介や藤津亮太といったプロも含めてろくなのが無いです)

しかし、ろくなドグマも規律も抜きにしていくことで
ラノベアニメゲーム周辺のモードとしての力は日本でぶっちぎりのひとつとも
言えるよなというのがこの記事でしたが、まとめてるうちに偏見な落ちになってしまいました
(コメントまで読んでる方、少々むかついたなら正直スマンかった)

そういう欲求の商売は当たり前ですが
紆余曲折あって原作→アニメ化・ゲーム化のメディアミックスサイクルが
ラノベなど比率が増し深夜帯主戦場というのになってますが、
なにやらしばらく見ない間にそのセックスと殺人の許容範囲が
萌えと日常もの云々代表にすげえ歪つな形のモードになっていて、
で、アニメのクリエイターも萌えのモードに反抗しようとセックス殺人の別を行こうとすると
おいサブカルとかの方向のクリエイティビティ行っちゃうのかよという。


そういや昔書いた「FF15の野村哲也のROENまで起用してのゴールデンボンバー感」なんかも
妙な評判ありましたがあれもモードって意味で時代遅れになったって話でした。

追記でウナム日月氏が挙げている「銀河へキックオフ!!」は子供が大人の望む子供像から逸脱する自由、子供が大人を真っ向から打倒する自由を描いた作品でもあります。
それを良質なジュブナイルと認めるなら、大人は殺し合いを戦い子供は純粋に冒険する、という区分けこそ善良適格であり、子供が殺し合い戦う作品は残酷でクリエイティビティに欠け、不純である、という前提(と読みました)にはそぐわないのではないかと感じます。
たとえそうした「暴力とセックスは大人にしか許されない」二分法があるとして、その「子供かくあるべし」から子供が自由でありたいという「純粋な」思いが子供を暴力とセックス(の、安全な消費であるフィクションにいる自分の等身大の写し身)に憧れさせるとしたら、それは誰が不純なのでしょう?

私は「銀河へキックオフ!!」は大変面白いアニメだと思っています。

「殺人を知った子供」は鉄腕アトムや鉄人28号を操る少年もそうですね。ずいぶん前から「世界の命運を握る少年」というテーマが日本人は好きだったみたい。(私の妄想見解ですが)敗戦を経験して大人には世界を救えない(ヒーローにはなれない)、もしもヒーローがいるならばそれは子供に違いない、と考えた人たちが多かったのでは。そのとき作られたクリエイティブが一般常識(お約束)に発展してしまったのかもしれませんね。戦勝国のヒーローは007にバットマンにスパイダーマンだし。
セックスを知った子供はもう少し最近ですかね?ジブリとかが広めちゃいましたかね?ラノベの世界で本当にHしちゃうジュブナイルポルノも微妙に流行っているようですし。やはりこの手の分野(セックス殺人をできちゃう子供モノ)を作るのがめちゃくちゃ得意な日本ですわ

まずおふたがたに、不詳ながら荒い記事に対し、積極的に意識参加されたコメントをありがとうございます。

>(命名)リンゴ師父さん

まず、これマジで全て書き手であるこちらの不手際なので申し訳ない、と前置きさせていただきます。
文章の結論を上手くまとめなかったがために本記事はどうあがいても「アニメ内で描写される登場人物の大人・子供の立ち位置や関係」という側面ばかりに集中してしまいました。

上手く言及したかったのは、そちらのコメントにあるように「クリエイティビティに欠け」る点というか、
クリエイティビティを子供のセックスか戦争というもの凄く狭い範囲に絞っていることでした。
もの凄く狭くすることでモードとしての強さを発揮するのがラノベアニメゲーム界隈では?といいますか・・・

>saboo さん

コメント内の鉄腕アトムと戦後論が近づくことによって、
つい大塚英志を思い出してしまいました。
実際そうした切り口での日本のサブカルチャー論を書いてますね。


本エントリで上手く書ききれなかった結論部分に関しては、
新ブログの方である程度までは固まったと思えますので
できればそちらもご覧いただけると有難いです。

 アニメってそもそも「創作物」と「生産物」の2つの要素を持ってるよなぁと思ったり。要するに供給する側の好き嫌いや上手い下手だけじゃなくて、消費する側の嗜好も考えないといけないんじゃないですか。仮に日本人が鶏肉作るのめちゃくちゃ上手かったとしても、世の中的に牛肉の方が好まれれば日本では牛育てるしか牧場主さんが食ってく道がないわけですし。生産物そのものにスポットを当てすぎるとモード自体の社会的な位置を見失うことになっちゃうんじゃないですか。
 ジュブナイル的な何かが社会にとって毒になるか薬になるかは別として、光源氏だって女の子を養育してたんだから、そういった需要が存在すること自体は民族的に仕方のないことなんじゃないかと。そういう需要を単に消費し続ける創作活動の方向性自体は無意味にお金が動いてるだけで全く生産的ではないし、そもそも社会に一石投じる気もないのであれば文化活動としても正しい方向だとは思いませんけどね。
 このテーマで世の中に何か問いかけていきたいのなら「消費者の態度」「生産者の態度」の両面から、人文学のいろんな学問の知識を引いて論じていくべきのような気がします。

>DARTS さん

書かれている通り、需要供給込みで日本でのアニメの発展と確立という部分丸投げなので
非常に偏見の強い記事になってしまっています。
このあたりははてなコメントで指摘される通りではあるんですが(ムカついたんでやり返しましたが)


すでにこの記事の続きは本記事最後にリンクされている新ブログのほうで行っており、
出来ることならこちらの方も読んでもらえれば有難いです。
本記事のテーマはクリエイティビティの範囲ということだったんですが、
その辺の書ききれ無かった部分は新ブログの以下の記事中段にて補完しております。

http://teenssexandwarmode.hatenablog.com/entry/2014/01/29/000000

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