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2013年11月 3日 (日)

あなたが自分の家系や先祖を知るなかで分かる、ビデオゲームのストーリーやナラティブという物語の言葉を巡るおとぎ話

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 近年のビデオゲームは、プレイヤーが技量をチャレンジするためのゲームメカニクス・デザインのドラスティックな進化による新たな快感提供よりも、トレンドは変貌してすでに定型化してるメカニクスから如何に文脈を変えて新たな体験を作るかって方向にあるように見える。


 AAAタイトルならばリアリティを表現するために膨大なデータ量によって根源のゲームメカニクス的攻防や都合を見えないようにしている流れがあるとみえ、インディーなど小規模デベロップメント界隈ではメカニクスを別の角度から見直したり、構造を書き換えたりすることで新たな見方やエモーションを作る作品というのが少なくない。


 つまり、ゲームメカニクスの攻防による快楽以上に総じてビデオゲームにおける体験と物語の方法ってことが近年注目を浴びているような状況のように見え、シーンの前線で取り沙汰されるゲームもその点がポイントにあるように思うし、ついに日本でも少し前にCEDECでこうしたセッションが行われるまでになった。 そこでは物語を巡って「ナラティブ」など聞きなれないだろう言葉まで現れた。ビデオゲームにおける物語の語り方としてこの言葉は何を意味するのだろうか?をめぐるおとぎ話のエントリ。

 さて一部で話題となった「ナラティブ」という言葉だが、これは広い範囲である作品の抱える物語性を評する際に使われる一つの批評用語としてよく使われる。自分は現代美術界隈でよく耳にしており、それはたぶん現代美術は最初から観る人にとうとうと長いストーリーと語ることで完結するという形式をとっておらず(作家によるけど)、美術館内に提示された作品を鑑賞していく中で、ある作品と作品の流れの繋がりや作者本人の体験の反映などを観る人が感じて、想像されるような描写や導線が作品に敷かれている際などに「ーのナラティブがどうこう」という風に評されるケースをよく見る。


 これは言葉や演技、映像を鑑賞させることで完結される小説や映画といった歴史の長いジャンルのなかでも作家が意識的に単一の脚本やストーリーラインやこと細やかな状況の説明を描くことを選ばず、コンセプチュアルな方法に寄って描かれた場合もまた観客に感じてもらう・想像させる要素や同線のある作品に対してこの言葉で評されるケースもある。


 つまるところビデオゲームにおけるこの言葉の出現は多様な表現の発達ともいえるし、また逆に純粋なビデオゲームメカニックの前進の停滞をも意味しているとも映り、総じてジャンルの歴史が積み重なったゆえの現象っていう気もする。もうジャンルの歴史から意味作用までガチガチに体系化しようとする欧米あたりがこうやって批評しだすとかって段階に来たんだなと思う一方で、特に日本のビデオゲーム界隈だとそういうコンテクスト解析土壌皆無なんで一部はこの用語登場に戸惑ったんだと想像する。  (そもそも先に引用したのCEDECに登壇している方々からして発言や内容を見るにそこまで理解してないと思われる。遠藤氏のパックマンなんて物語云々よりはるか以前のゲームメカニクス丸出しで成立していた時代のものじゃないか あれに物語性うんぬんは関係ないしそういう視点に含めるべきじゃないしもっとも美しい点はそういうことじゃねえだろ)



 この言葉のもう少し専門的な区分や位置に関しては9bitさんのこちらのエントリが詳しいのだが、自分としてはこの言葉の範囲を考えるというよりも、ビデオゲームの物語の実体験ってことを重視してとしてたとえばストーリーテリングとナラティブの差って何か?ってことを、たとえ話としてこう考えてみている。

●たとえば、あなたが自分の生まれる前の家系や先祖といった過去に何があったかを知ろうとするとして

 ビデオゲームがプレイヤーに提示する物語というのはたとえばゲームのエンディングに向かって突き進むメインストーリーの語りがあり、それはゲームの進歩の上で膨大なボイスや豪華なムービーといった演出が強化されていくことになったり、またはプレイヤー自身で動き、情報を集め、感じたりしたことから浮かび上がる物語性もある。


 こうした様々な物語とそれに伴うプレイヤーの作品世界の理解をたとえるならこうだ。たとえば10歳を超えたか超えないかくらいのあなたが自分の生まれる以前の家系や歴史を知りたいとする。そしてあなたは夏休みや冬休みあたりに両親の実家に遊びにいくとする。


 そこでおじいちゃんやおばあちゃんに自分が生まれる以前の両親の話から、またはそれよりずっと以前の長い話をあなたは聞き入るとする。それはおじいちゃんやおばあちゃんによる経験と主観による、感情移入しやすいひとつの物語だ。

 こうした形で自分が生まれる以前の歴史を、ひたすら受け手として聞き入るというのはビデオゲームにおける膨大なムービーやメインストーリーによって作品世界をプレイヤーに理解させるということの例えであり、文字通り「ストーリーテリング」と呼ばれる領域はこの一方向性にある。このたとえにもう少しゲームらしい仕掛けを含めるならば、おじいちゃんやおばあちゃんは途中、忘れているところがあるので途中であなたが思い出せるようにアルバムなど何かを探して来たり、おこづかいを集めたりして何かを買ってみせたりすることで続きを話してくれるというレスポンスがあるのである。おおよそこうやって大きいストーリーラインが繋がれている。


 では「ナラティブ」とはどうだろう?実家にいるあなたは、両親がまだここで暮らしていたころの部屋や持ち物、または倉庫などを探索したり、アルバムを眺めたりする。自発的に動き、見つけた本だとか学生時代に残しただろう賞状やトロフィーなどを見つけながら、あなたは自分が生まれる以前の両親から家系はどうだったのかをうっすらと想像する。もしかしたら集めた情報を細やかに繋ぎ合わせると、おじいちゃんやおばあちゃんの話と食い違う矛盾や記憶違いがあるのかもしれない。


 つまりプレイヤーであるあなた自身で動き、置かれたオブジェクトや情報を集め、照らし合わせ、繋がる部分を想像し、感じるなかで見出される物語性、これはいささか単純にしすぎている書き方になるが、ビデオゲームにおける「ナラティブ」とはプレイヤーとゲームとの双方向の呼応の中で感じられる物語性を重視した言葉だ。

 

 ビデオゲームの本流とはまぎれもなくプレイヤーが自発的に動き、探し、成長させることなどで作品世界をこの手ものにすることのために、GDCではビデオゲームの物語を評価する賞として「Best Writing Award」(最優秀脚本賞)というおばあちゃんの語りがどれだけ巧みであるのかに与えられる賞ではなく、どれだけあなた自身が自発的に動き、面白く、興味深く先祖のことやらを知ることができるのかというデザインの方が重要なため「Best Narrative Award」へと置き換わったのだと思われる。


●おじいちゃんの語るFF、または本当の家探しで物語を探るゲーム
 


 こうした夏休みか冬休みでの実家で自分が生まれる以前の歴史を知ろうとするたとえをもう少し続けるならば、近年のFFなんかを例えるとこんな感じだ。おじいちゃんが一方向的に話すも矛盾がどんどん見つかり、格好いい話なんだか微妙になるなかで、じゃあ自発的に親が住んでた部屋なんかを探しにいくもなんとそこには世界像を想像させるものやひっかかりはほとんどなく、やりこみという形で梱包材のプチプチばかりがまき散らされている部屋、なんかを想像する。


 

 両親が住んでいたころの部屋や倉庫を探したりしながら、その痕跡を集めてなにがあったかイメージしていくっていうのも本当にそのままのゲームが最近リリースされており、「gone home」というゲームがそれで、家族の誰もいなくなった家を探索して何故いなくなったかを探る。そろそろこれもやってみようと思う。

 

 その一方でおばあちゃんの語りってのも聞き手を飽きさせないような形で進歩しており、あなたに「どう思う?同じ立場ならどうする?」みたいな質問をうまく絡める語りもある。telltale gamesのご存じ「the walking dead」はまさにそれで、ほとんどリニアな進行で自発的な探索は最小なのでインタラクティブムービーだなんて言われているのだが、常にプレイヤーはレスポンスを常に要求されるし、また語りの中でどうにもならない選択の揺らぎに立て続けに出くわすのだ。(これそろそろクリアなんでレビュー書くと思う)

 あなたが実際に現実に生まれる以前を知ろうとするとして、それは昔を知っているおじいちゃんおばあちゃんによる語りから、自分自身で探索し、集めるという様々な方法が提示されている。ビデオゲームにおける物語性とは実際にビデオゲームが一方的な語りも、探索や情報の収集によって物語の真相を想像するなどなどがプレイヤーに提示されており、特に近年のAAAタイトルのリアリズム化の中ではそのままおばあちゃんの高度な語りから膨大な部屋や倉庫漁りで見えてくる関係や物語を体感できるところから、コンセプチュアルに部屋や倉庫探しに着目させるやり方がゲームシーンの前線で行われているのである。

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