« 知られざる「ムーンライトシンドローム」続編「BLOOD+ One night kiss」感想&考察 凍結した日本郊外の光景: 「killer is dead」キラーイズデッド発売直前レトロスペクティブⅡ | トップページ | GHM過去最強の主人公たる処刑人を擁する「Killer is dead」 キラーイズデッド ~探索感想編~ »

2013年7月22日 (月)

MGSVはGTAV程度には普通に圧勝できる・過去そして未来のオープンワールドデザインの考察

Mgsv

 

 さてツイッターを眺めているとこんな発言が流れてきた。

 なるほど今の日本のクリエイターの中では屈指の技術進歩の垂直方向へのビデオゲームへのクリエイティビティを持つ氏らしく、特に諸海外のトップレベルの作品と張り合っていこうとしている意見を普段から発しているし、このように高度なゲームデザインには賛辞を贈る。


 特に「MGSV」は売りに「オープンワールド化」を置いており、そのジャンルのキングである「GTAV」に対してこのツイートであるからちょっとした話題になったけど、しかしこうは言っていてもオレはというと「GTAV」「MGSV」断然勝てると見てる。

 もちろんIPの売り上げうんぬんなんてことじゃなく、それはオープンワールドというものとゲームデザインの関係ってことなんだけど、ポイントはハナからオープンワールドというメカニクスの上に、アクションからシューティング、カーレースといった他ジャンルのメカニクスを乗っけてきた「GTA」シリーズのデザインと、ステルスアクションという明確なジャンルのゲームデザインをハードの時代と環境に合わせて進歩させる上で遂にオープンワールド化にまで接触した「MGS」シリーズの比較によって浮かび上がる今のビデオゲームにおけるオープンワールドの変貌ということだ。


 その考察と並行しつつ、何を持って、どの点において「MGSV」「GTAV」に断然勝つと言っているのか?の結論に関してのエントリ。

▼オープンワールドでよく語られる「自由」は何からの「自由」なのか?

 それはもちろんオレもPS2で初めて「GTAⅢ」を遊んだ時はこれは遊んだことのない体験だったわけで、道端の人間を殴り倒し流血させてしまえば周りの人間は絶叫し逃げまどい、その後には血まみれで倒れた人間の周りに人々が集まり救急車が救命にやってくるという、GTAタイプのオープンワールドを遊んだなら見慣れているだろうこの光景に初めて出くわしたときには「凄いことが起きている」と唸った。


 ミッションなんてほっぽりだして車を強奪しては人を轢きまくり爆発炎上を繰り返し、追いすがる警官と体力が尽きるまで決闘し続け死ぬなんて過激さをずっと繰り返すはもちろんだが、なによりこの殺伐としたアメリカの都市光景をまるでハンディカメラで乱雑に撮ったインディーズ映画の如く生々しく映していたことが記憶に残る。「GTAⅢ」はハリウッドブロックバスター映画に影響を受けてきたPS2以降のゲームのように親切な見せ場として豪華なプリレンダムービーを提示しながら主人公たちが愛を確かめることなんて姿を演じることはひとかけらもない。それどころかリアルタイムでレンダリングされる人物のモデリングだって荒い。しかし、確かにこれに初めて触れたときにはビデオゲームで言いようのない、なんらかの自由を確かに感じた。



 今、なぜその自由を感じたのか?をオレ個人の言葉にすれば、それはアクションやレース、アドベンチャーといった固定のゲームジャンルから、固定のミッションやチャレンジなどゲーム進行から解き放たれてもその街中を闊歩できる自由であり、第二にはもちろん犯罪を犯すも自分次第という自由といったそれだ。


 明確な舞台があり、ゲームジャンルから解き放たれて自由に操作していられるゲームデザインというのも、これまでには任天堂の3D移行期の「マリオ64」「ゼルダの伝説 時のオカリナ」や飯田和敏の「アクアノートの休日」「太陽のしっぽ」みたいなアート手法によるゲームであるとか、または「ミザーナフォールズ」「シェンムー」のようにフラグ立ての探索アドベンチャーの範囲を広げる意味でのオープンワールドであるとか、広大な街並みを自由に車で走り回り人を轢くことすら自由というのだって「カーマゲドン」「クレイジータクシー」のようなミッションやチャレンジの中でのものだった。少なくないタイトルがあと一歩のところで「GTAⅢ」になれそうでありながらジャンルの頚木からミッション・チャレンジの頚木までを外し、世界がただそこにあり自由を感じさせることまでにはいかなかった。


▼しかし、その新たな自由の限界


 だがしかし、こうした新しいゲームメカニクスによって生み出された自由には新たに弱点が生まれる。それはもうそのまま、リニアなゲームがもたらすような個別のアクションの操作性、ステージのデザインからミッション・チャレンジの戦略の幅の狭さといった側面の快楽の低さであり、さらにメインストーリーとそれを進めるためのミッションが存在することによる目的の設定に加え、「物語」という最大のリニアが必要になることによる完全な自由というものの限界だ。このあたりのオープンワールドにプレイヤーをほっぽり出してそれからの目的や進行に関しては結構な数の作品が悩んでるところのような気がする。


 GTAシリーズは遊んでいてうかがい知れるこの辺の構造的限界に対してシリーズを重ねるごとに取ってきた方法とは、ポジティブな方向ではもうこれは基本構造を変えずにオープンワールドという土台の上に、アクション・レース・TPSという多ジャンルが混合していったように、徹底的にあらゆるジャンルのメカニズムを混合していくことで、ネガティブな方向ではオープンワールドというものを主人公とそこで生きる街という空気とストーリー、世界のリアリズムを徹底化させてまるでドキュメンタリー映画の中にいるようにプレイヤーが物語とインタラクションする形にする。前者の方向が「GTA・サンアンドレアス」と今度の「GTAV」で後者の方向が「GTAⅣ」だと思う。


 
 第二の構造的限界ってことでは、ちょっとやっかいな書き方になるけど操作するキャラクターのアクションとオープンワールドのデザインの関係が一致しないってことがある。GTAでは複数のアクションがある。通常の主人公のキャラクターを操作して歩く、走る、ジャンプする、パンチを撃つといったアクション、車を奪ってからはカーレースとトライアスロンのように切り替わるのだが、その個々の操作の快感ってのは専門のジャンルよりは少ない。


 そんなの当り前じゃねえかって話なんだけども、少なくともGTAタイプのオープンワールドは通常のアクションやレースといったジャンルが構築するデザインと順序がほぼ逆転しているからではないかと思う。任天堂の昔のゼルダのインタビューあたりを読んでいるとうかがい知れるのだが、基本アクションゲームにおけるプレイヤーキャラとステージの環境の関係は、プレイヤーキャラのジャンプから攻撃などなどのできる動作など、アクションの能力に合わせてステージやチャレンジが構成される。それでジャンルらしい操作の快感や、攻略の楽しみが生まれてくるのだが、GTAタイプは逆で都市と世界の構築が先であり、それはプレイヤーキャラのアクションの能力に合わせて作られたものではないように見える。


 そここそが「MGSV」の勝ちうるだろう点だ。というよりも特徴あるアクション・TPS・FPSなどのジャンルがその進歩のなかでオープンワールドへと広がったものの勝ちうるポイントだろう。

▼UBI「プリンスオブペルシャ」~「アサシンクリード」~「ウォッチドッグス」の系譜から想定される、アクションゲームのオープンワールドへの拡大


 こうしたシフトを早い段階で実現してるのがこれはUBIの「アサシンクリード」じゃないだろうか?


 もともと「Prince of Persia: Assassins」という、「プリンスオブペルシャ」の新シリーズとしてのコンセプトを持っていたことからわかるようにアクションゲームの構造をしっかり作っていたシリーズの流れを組んでいたことからのオープンワールド化であり、「プリンスオブペルシャ」でシリーズで構築されてきたプレイヤーキャラの壁をよじ登ることから細い梁をも飛び越えていくような環境を生かしたアクションの技術から逆算する形で都市を構築しているものと思われる。

 まさに肉体ひとつで都市を駆け巡る技術のスポーツであるパルクールを参考にしたというアサシンたちが自由に壁を登り、屋根を飛び越えていくフリーランアクションの気持ちよさを表現するのに合わせる形で都市の構成が調整されている。こうした操作デザインと環境の関係を一言では「アフォーダンス」と言うようなのだが、これが都市や世界が先にあり、プレイヤーがそこにいるという順序だろうGTAシリーズのオープンワールドと異なるアクションゲームのオープンワールドシフトではないだろうか。


 UBIの次の「ウォッチドッグス」も、あれはアサシンクリードをはじめとした様々なオープンワールド製作により技術を蓄積した中で、ついに本家本元のGTA的な現代のシカゴをモチーフにしたオープンワールドというオーソドックスなもののように見えるのだがこれもその中身は実質GTAとは逆転しているものと見ている。


 あれはアサシンクリードで積み上げられたフリーランに加え、ハッカーの主人公の持つ都市システムの介入というアクションから逆算された都市のデザイン・構成をとっているものと見られこれまで様々な意味でGTA型のオープンワールドの裏を行くデザインを予想してきたけれど、「プリンスオブペルシャ」から「アサシンクリード」を越えてUBIがリリースしてきたアクションゲームからオープンワールドへのシフトという流れの究極系に位置するものと見られる。それゆえに今年のオープンワールドで見物である「GTAV」とこの「ウォッチドッグス」の二つのオープンワールドはおそらくゲームデザインの出自と構造的にコインの表と裏のように合わさっている。


 
 この他にもE3で話題となった「The division」「Destiny」「The Crew」といったTPS・FPS構造からカーレースの作品がオープンワールドへの拡大を見せており、これらもTPSとFPSというアクションに合わせた形のオープンワールドデザインというのが想像される。


 アクションやTPS・FPSといったジャンルの頚木によるリニアさより自由に解き放たれた世界オープンワールドを提示して10数年、世界を提示した上に半端なアクションジャンルの集合体であるGTAの包囲網とすら感じられる、専門ジャンルだったタイプの作品がそのジャンルのレベルを拡大させる形でオープンワールド化を見せていく流れのように映り、ステルスアクションのジャンルのトップである「MGSV」もその一つだろう。




▼MGSVによるオープンワールドの勝ち方は?



 ということでUBIのアクションからオープンワールドへのシフトの仕方を見るに、「MGSV」のオープンワールド化というのも当然スネークの潜入アクションや戦略を前提にしたオープンワールドのデザインが為されると予想される。


 そこから想像される自由とはこんな感じだ。これまでのような固定のステージに敵兵の配置を切り抜け、目的地に到達してクリアしていくというリニアな構成から解き放たれ、目的地への潜入において時間帯や天候、事前の敵兵配置確認からいかに分散させるかなどとてつもなく広い範囲での戦略という側面での自由があるというのが小島秀夫のインタビューより想像される。

 

 やっぱりMGSシリーズはステルスアクションというジャンル構造にのみ拘泥してるだけではなく、各時代の技術進歩・市場変化に合わせた進歩や適応を実装してきている屈指のシリーズであるには違いない。最近での「モンスターハンターポータブル」が大ヒットしていた携帯機プラットフォームPSPでの「メタルギアソリッド・ピースウォーカー」ではステルスアクションにどう実装するんだと思われる、経験値や資金などの蓄積・アイテムや仲間の収集のゲームデザインという、JRPGに代表される日本人がもっとも好むデザインに加え、仲間との共闘というCO-OP機能などなど「モンハン」が大得意にしており、「ポケモン」から今のソーシャルゲームに至るまでの携帯機市場で特に採用されるデザインに適応させているという考えてみれば相当の事を実現しているわけで、今回のオープンワールド解釈もここまでに蓄積されてきたステルスアクションデザインから逆算された解釈が為されるはずだろう。


 

 「GTAV」はもともとの軸となるジャンルが存在せず、だからこそ革新的であったが近年底が見えつつある感はあり、「LAノワール」あたりから感じることだがロックスター系列の作品は実のところアクションやアドベンチャーのジャンルゲームをデザインする能力は、オープンワールドを定義させてきた仕事に比べると決してとてつもなく高くは見えない。

 


 なので「GTAV」が膨大なまでのマップの拡大や様々なアクションはじめ、全てのゲームジャンルを搭載しようとするくらいまで乗せているのもそれは実質、軸となるジャンルが全くないゆえだからと思う。「はじめに世界ありき」のこのシリーズの進化方向は結局のところあらゆるジャンルを飲みこみ様々なチャレンジを搭載しボリュームを増大化させることが正道なのである。


 それに対してアクションやFPS、レースというジャンルを軸にオープンワールドへと拡大したタイプはその操作や能力に合わせた形で世界が構成されていくという違いであり、「MGSV」をはじめにUBIの「ウォッチドッグス」「The division」などの作品はジャンルの頸木から自由になった一方で、GTA系がなんでもジャンルを乗せることが出来ながら、操作とステージ環境の一致が弱いゆえのアフォーダンスの浅さに対してカウンターを撃っている形となっているかに見える。


 これが次世代におけるオープンワールドを取り巻く変化や構図だとオレは思うんだが、このように様々なジャンルゲームがオープンワールドへの拡大を選択している中で、もしかしたらGTAでもオールドになる瞬間が訪れるのではないかというせめぎ合いのようにすら見える。ジャンルゲームでありながら時代環境に適応し続けてきた「MGSV」「GTAV」を打ち負かす点というのは「オープンワールドが何より先にあるということのデザインの限界」ということのはずだ。




 

 

 

 

« 知られざる「ムーンライトシンドローム」続編「BLOOD+ One night kiss」感想&考察 凍結した日本郊外の光景: 「killer is dead」キラーイズデッド発売直前レトロスペクティブⅡ | トップページ | GHM過去最強の主人公たる処刑人を擁する「Killer is dead」 キラーイズデッド ~探索感想編~ »

7.新作への展望」カテゴリの記事

コメント

 無限に広いゲームなど存在し得ないので、「オープンワールド」という言葉はあまりピンときませんね。つまりゲーム側の最大限の要求まで「クローズワールド」なのであり、それ以上は蛇足になります。Far Cry 3はそこが上手で、広い孤島とドンと提供しておきながら、目標が目的から離れることはなかった。(ここで言ってしまえば「歩くだけで楽しい」などと喧伝するゲームは嫌いになる。)

 昨今の評価されたゲームをみれば、おそらく次世代に入ってもシングルプレイヤーとは何か?は最も評価される部分であり続けると思う。
 MGSはこれまでストーリーテリングを重視してきたはずのシリーズで、プレイヤーに行動の選択肢を与えた場合、そのラインがどこまで維持できるかに懸かっているはず。特に紛争or戦場下で本当に多様な選択肢があるのかという部分は注意深くみていきたい。
 GTAVは行動の選択肢こそあれ、ストーリーテリングをどうするかでこれまた躓くはず。寄り道をした瞬間にストーリーから関心がそれるのであれば、そこで止めてしまいそう。同じ山に登っていながら、全く逆の入り口からスタートしている印象。

 Watch Dogsは絶賛期待中。最近ドロップイン/ドロップアウトCo-opが多かった流れがここに繋がるとはびっくり。Demon's Souls以降Co-op再考が加速すると思いきや、我が国のハンティングアクション(これも嫌いな呼称)が集合ロビータイプのままだったのは残念無念。
 The DivisionはリアルタイムマッピングされるUIをみてうひゃー!Watch Dogsとは逆に都市システムを停止した世界、シカゴのCtOSをプレイヤーに置き換え、ストーリーを提供せずに済む初めてのMMOになるのではとこれまた期待。


 

>にりんさん

おお面白い意見ありがとうございます!書いた甲斐がありました。
「ゲーム側の最大限の要求までクローズワールド」という指摘は興味深く
GTA型のオープンワールドという世界が先にあるものの限界は
一見、限界なく見えるますがその実、プレイヤーはその世界の一部であり
世界と言うものと操作できるアクションと言うものが一致し切れないため浅くなる、が
自分の意見ですね。
GTAVのストーリー(メインミッション進行)と寄り道で世界を歩くの分裂の予感というのも
感じており、そこが王者GTAの穴と見えます。

FarCry3が上手いというのも納得であれはFPSという操作・探索デザインに沿った形で
孤島という舞台とミッションのデザインが出来ているものと見えます。(・・・見えますと言うのも未プレイだからですが 追々やってみたいと思います)
なのでスニーキングアクションという最大の操作デザインを持つ
MGSVというのはそれに合わせた形で世界がデザインされると見ており、
全ての行動がストーリー、メインミッションに直結する形にすると思われ、
その点を持ってMGSVはGTAVに勝つ、と見ています。

レビュー毎回楽しく見させてもらってます
 
今回、「MGSVはGTAV程度には普通に圧勝できる・・以下ry」という見出しで怒りと共に最後まで読破致しました。 
完全に釣られているんでしょうけど(震え声)
 
まず、gtaの分析は見事だと思いました。
「操作作するキャラクターのアクションとオープンワールドのデザインの関係が一致しないってことがある」←この一言は至言だと思います。

さらに付け加えればロックスターは彼らの目指すオープンワールドゲー究極点を既に完成させています。
完全完璧なる雰囲気ゲー「レッドデッドリデンプション」(バカにしているわけじゃありません) 
最早Vにて何か彼らに新しいことをやれる余地は無いと思います。
 
ただ、他のオープンフィールド郡に負けてないことが1つあります。

このシリーズはアメリカの雰囲気が非常にうまく再現されています
それはイベントが映画のオマージュであったり、ラジオの各局の選曲であったり、地形、都市の町並みのことです。 プ
ただ、そこらへんのゲームスタジオが作ったのでは成功しなかったでしょう。

ロックスターが凄いのは、アメリカの各時代のポップカルチャーに対するリスペクト。
実は、その中に没入しきることができれば、青春時代の思い出や、時代に対する憧憬、アメリカに対する憧れ、様々な思いから自由を感じれます
ゲーム中でロクことが起きてないのにアメリカという国が好きになってしまう人が多いのが人気の理由ではないかと思います。  
 
つまり、作りたかったテーマのゲームジャンルがたまたまオープンフィールドなだけであって、
素晴らしいオープンフィールドを作るべくできたシリーズでは無いのが穴だと思います。
 
で、今回イチバン声を出して言いたいのが、
gtaは作りたい世界ありきだけど、コジマ監督は披露したい知識ありきでゲーム作ってると思うんです。
披露したい知識の中にはもちろん、「こんなマイナーな映画知ってるんだぜ」とか・・・・
というか、「披露したい知識」ってつまり自己愛だと思うんです。(ゲーム性は光る部分はあるんです)
そして、コジマ監督はそのリスペクトが自分に向いてしまってることを悪いと思ってるフシを感じません。
自己愛vsアメリカポップカルチャーリスペクトってなると、断然グランドセフトオートが負けるかよ!という思いが込み上げてきます。 
  
これは、揶揄ではないでのすが
ライジングを外部委託してしまったりでコジプロは人材育成にかなり問題があるように思います。
オープンフィールドを一本作れるのかという問題と、先述の小島監督の「言いたいこと」郡で
>全ての行動がストーリー、メインミッションに直結する形にすると思われ
↑がかなりブレる可能性があると思います。
 
ということで以上です。
気分を害してしまったら申し訳ありません。

>ベライゾンさん

いえいえ、ここのところハイレベルで熱いコメントが続いており、
それにひけをとらない熱い切り口のコメントありがとうございます。


このエントリではビデオゲームが描写する文化面と、
それに伴うリアリティ、俗に没入感や体験という点を省いて
オープンワールドのゲームメカニクス面での限界と発展に関して
話を絞っていましたが、この文化面に関しての描写に話を向けると
もうね、100%そちらの意見と同意です・笑


マジで海外ビデオゲームと日本のとではこういうカルチャーの行き来が
もっのすんごく差があるのを感じまして、
GTAなんかはラジオのアーティストチョイスから実際の俳優起用や
映画引用とビデオゲームと映画や音楽など他ポップカルチャーと
歪な差も無く行き来してるのはよく見えます。


対して日本のビデオゲームカルチャーは
「アニメ・ゲーム」という括りに象徴的なように
アニメ漫画でその奥の発祥地が秋葉原と
かなり狭い範囲でのカルチャーの行き来がオーソドックスですし、
ゲームがアニメ界隈との行き来は当たり前ですけども
それ以上の外部への行き来がない。オレはこれはつまんねえなと。
いまだに声優などでの俳優起用うんぬんというのも
広告効果以外で他カルチャーと比肩・影響しうる
進歩や交換を意味しないっすよね。


前にファミ通の植地穀と須田剛一の「エリア51」だったかで
「日本のビデオゲームは海外のように映画業界との交流は無い」(うろ覚え・すいません)
というような発言を見た覚えがありますが、
これをむりくりやって行くとなかなか日本では異質になりまくりますね。

(近年の須田グラスホッパーは映画監督・山口雄大や三池崇史などを起用するなど
こういうカルチャーの境界を意識し、もう少し埋めてく動きをしているのですが・・
「ノーモアヒーローズ」ってあれはそういうのが上手く出たゲームじゃないすかね)


最近のスラッシュアクションの歴史みたいなのまとめてて
現行のコンソールで日本でAAAタイトルに内実を持たせられるのは
結局小島プロダクションが最後の希望という
思いを強くするに至ったのですが、
本当に物語・表現のカルチャー面から判断すると
正直オレもキツイなあコレと思うことは多々あります。
あれもせいぜいアニメ漫画秋葉原範疇の
サークルの洋画&ミリタリーの気のきいた趣味レベルで止まってます。

まあ日本のビデオゲームカルチャーの立ち位置のせいと
言い切るのも違うんですが、もう少し日本の映画・音楽など
ポップカルチャー交流あったらどうだろうなと思うんですが
なかなか難しいすね。
「龍が如く」とかもう少し突っ込んでアプローチしねえかな。

ライジングに関しては、あれは製作内部を想像すると
構造的にものすごくしんどいだろうなと
予想されて、あんまり若手を育てられないと責めるのも難しいです。

「自由切断」という技術デモがあって、
その新技術をいかにゲームメカニクス&デザインに
組み込んでいくのかも難しいと予想される上に、
MGSシリーズの頸木でステルス・世界観もクリアしなきゃならない。
スラッシュとステルスは完全に矛盾する要素のうえに
ストーリー・世界観とゲームメカニクスというものも矛盾しあう。
こんなもんどんなクリエイターでも解決超困難と予想され
まともに解決出来てたら小島秀夫を完全に超えてるし
それどころか世界的に考えても
「ポータル」以上のレベルですよ。
プロジェクト迷走の理由はこの幾重にも
重なった矛盾かと思われます

プラチナゲームスはこの解決困難な部分を全て切り
技術蓄積されてるスラッシュのメカニクスに乗せて
乗り切ったと見えます。

(※ここまでドヤ顔で書きながら、MGR未プレイです)

GTAに圧勝なんて有り得ない(笑)

>名無し君

わっかんねえぜ~(笑)
GTAVはそりゃあかかってる資金物量質量合わせて良質なんで
ぶっちゃけサッカーにおけるバルサをけなすのは難しいみたいなレベルだけど
ミッションの攻略や競技性の低さ(すなわち、狭義ゲーム性の低さ)は相変わらずで
MGSVがオープンワールド化でGTAVに勝てるほとんど唯一のポイントはそこって話っすよ

確かにGTA5やってると文句ない程素晴らしい良く出来ている!しかしやる気が起きない興奮するものがないって気がします。オープンワールドの限界ですか、、アメリカの文化、あのセンスに浸れる想像力豊かなプレイヤーは楽しめますがそうじゃないゲーマーにはキツいですね。俺は日本のゲーム当分やってないんでメタルギアやってないですけど今更ロックスターでも限界感じてるオープンワールドに挑戦する必要あるのでしょうか?普通にやって狭ーいメタルギアファンに喜んでもらえばいい気がします。

>オードムーゲさん

GTAVプレイ以前に書いた記事ですが
実際にゲームを遊んでみた後では「やはり凄い」と思わせる
膨大なアクティビティやキャラクターとのセリフの量などのデータ量の搭載は
予想以上で、それらを選んで楽しむ選択肢の幅、って面の自由は極地にありました

そして予想通りだったというのも本作は銀行強盗がメインミッションなのですが、
その戦略性の幅にかんしては非常に狭く、実質字幕の指示を追いかけるのと
大差がないという代物で、
ここの出来の悪さに対抗できるのは
純アクションゲームからオープンワールドへシフトした
MGSシリーズやUBIソフトの作品になるのかなと想像しております。

またぞろ古いゲームの話になっちまって悪いんですが(というかこのところのコメントが私のばっかりでなんかいいのかなあって感じも・・・)あるジャンルから発達してオープンワールド(自分としては単に自由というだけでなく、相互作用する仮想世界の意味合いを含んで使ってます)を成立させたゲームとして、非3Dではありますが、Ultimaシリーズは外せないと思います。
4の頃まではPiratesやEliteに近い、選べるアクションが少ない中での自由度を作る形式だったところ、5から動かせる小物やら時間通りに動くNPCが加わり、7になるまでに物同士の相互作用(瓶を攻撃すると割れたり)や一つ繋がりのマップのような、仮想世界としての部分が突き詰められて、最近のオープンワールドに通じる物になってました。
Ultima 7の影響は海外のCRPG全体に強くて、Skyrimなんかがこっちの子孫ですね。あとは、すごい適当な認識ですが、System Shockや初代Deus Exを通じて、FPSへの影響もあったんじゃないかと思います。

GTAのある意味の偉大さは、先行するRPGのルール的な重苦しさを取っ払って、ドライブゲーム中心のジャンルごった煮お手軽ゲーに仕上げたことじゃないでしょうか。ちょっと残念なのは、こっちの影響でRPGの方まで軽くなっちゃったことですかね。

あ、すみません、あと書き忘れてたんですが、筋書きの点において、Ultimaシリーズは本筋の進行に必要な情報・フラグをあちこちに分散させることで非線形性を生み出す(ドラクエ2の船が手に入ってからの展開を分厚くしたようなもんです)手法を取っていたので、最近のTESも抱えている、メインプロットが他の要素から遊離するような感覚はうまく避けてましたね。その分プレイヤーに負担をかけるところはありましたが・・・

>Quaint さん

いえいえ、ぶっちゃけ記事書いてもレスポンスが無いのは面白くないので、
Quaintさんのコメントは大歓迎ですよ!
書いていただいた内容もこちらがかなり穴のある古くのPCゲームの知識が大きいですし、
有難いです。

現実のルールを持った架空の世界を自由に動く、空間を動くという目標は
PCで現実のシミュレーションをいかにして行うかって開発・研究から
ビデオゲームの界隈でジャンルを問わずあった、と見えます

ビデオゲームの正史的には判断が難しいのですが、
ぼくも自分の経験レベルではCRPGが
まず、社会やNPCの人物などを配置しあるレベルの現実を模した世界が存在して
プレイヤーはゲームが提示するメカニクスの範囲で
自由な干渉が可能なジャンルとして君臨していた、と思います

RPG以外のジャンルでも、たとえばSEGAの鈴木裕などは
ゲーム製作経歴を眺めるにアウトランからバーチャファイターに至るまで
最初期からあるレベルのシミュレーションの意識が高かったと思われ、
それが現代都市オープンワールドのシェンムーにまで結実しています。

遡れば様々なジャンルが最終目的地に現実の模倣をいかに行いながら
ゲームメカニクスとデザインの面白さに落とし込むか?の闘いをやっていると
考えています。

あるジャンルがいかにオープンワールドに繋がるか?っていうのは
FPSの発生から現在までの歴史をまとめたこの動画がすごかったです
https://www.youtube.com/watch?v=aipGP5oAuWQ


人間が作るものなので
限界があるがウィッチャー3だと作業している
Npcは
やってるように見せかけてるだけでただの
繰り返しで他のゲーム同様限界を見せつけられ
た。

人を殺しまくることができるgtaやfalloutの
ようなゲームは
Npcの反撃やプレイヤーの追跡は
理不尽さや、馬鹿だなと感じるが多い
(スリルさがない。)

これを解決できるなら今後もオープンワールド
に期待したいが人手や技術、導入要素の優勢順位的に今のところやりそうにもないな。

Mgs5は、自由な潜入と脱出が個人的に
ツボだけど脱出のときにプレイヤーを追いつめるような作戦や行動に出たら面白そうだけど
求めすぎな事は実現しないだろうから期待は
下げておきますが現実的な話
ウィッチャー3でもありましたがオープンワールドになることでストーリーと絡みがないエリアとかはどうするんだろう。


たぶん自分が求めてる要素は人間プレイヤー主体のdivisionとかが
近いかもしれない。


>Sさん

ウィッチャー3はまだやってないんですが、
オープンワールドで体験を数多くのサブイベントなどで分散させると
RPGジャンルではゲームプレイ内容自体が部分的で繰り返しの印象に
なりやすいのかもしれないです。
ゼノブレイドクロス、けっこうしんどいなってとこそこでしたよ

オープンワールドとはいえ、ゲームの進行もリニアより・ノンリニアよりだったり
シングルかマルチプレイヤーでデザインも大幅に変わると思われます。
divisionはまあ、マルチプレイヤーのそれですよね

MGS5はどのあたりになるかっていうと、
リニア進行寄りでシングル主体のデザイン基調を
どう広がりを与えるかって形を上手くやってくれるのではと
おもってますよ

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1579848/52488048

この記事へのトラックバック一覧です: MGSVはGTAV程度には普通に圧勝できる・過去そして未来のオープンワールドデザインの考察:

« 知られざる「ムーンライトシンドローム」続編「BLOOD+ One night kiss」感想&考察 凍結した日本郊外の光景: 「killer is dead」キラーイズデッド発売直前レトロスペクティブⅡ | トップページ | GHM過去最強の主人公たる処刑人を擁する「Killer is dead」 キラーイズデッド ~探索感想編~ »

おしらせ

  • 人気ブログランキングへ
    GAME SCOPE SIZEはWordpressに移行しました。
    新規の記事はこちらからになります。

特集

  • 人気ブログランキングへ  ファイナルファンタジーⅦとクーロンズゲートによる人格分裂・カルト・ネット・世紀末まみれの90年代プレイステーション

    人気ブログランキングへ  デビルメイクライやベヨネッタはどこから来たのか?「スラッシュアクション」仮設の歴史

    人気ブログランキングへ  監視・規制・権力のビデオゲームズ 「ディシプリン*帝国の誕生」から「Watch dogs」まで6選 人気ブログランキングへ  CYBER PUNK VIDEO GAME  2015年の日本産オープンワールド・9つの奇妙なシンクロより生まれる狂気

Share


フォト

Author: EAbase887

AD

無料ブログはココログ