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2013年6月27日 (木)

「evoland」感想と考察:ビデオゲーム進化の歴史を追体験する革新的なアクションRPG、だがしかしその歴史観とは・・・

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 ビデオゲームもハードの進化を遂げていくことと年月を積み重ねることによりそれは一つの歴史が出来上がっているのは確かであり、近年ではジャンルごとに進化の歴史を振り返り、追体験させるような構成をとっている作品をしばしば見かける。たとえば日本のシューティングゲームの大家であるタイトーの「スペースインベーダー・インフィニティジーン」など。

 さてアクションアドベンチャーというジャンルにて、ビデオゲームの進化を追体験させるというとてもいい狙いどころであるフランスのshiro gamesによる今回の「evoland」なのだが、日本人にはおなじみの元ネタが二つあり基本的にはそのパロディの形によるビデオゲーム史の進化が出来上がっている。基本がそれでもかまわないけれど、ところが最後まで遊んだ中で思うのはこの作品のビデオゲームの歴史観はこれでいいのかよということだ。


 というわけで現代の新傾向「ビデオゲーム史の進化追体験ゲーム」である本作のレビューながら、「その正しい歴史の編み方とは?」の問題提示エントリ。

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          ファイナル・レジェンド・オブ・ゼルダ 

 

 基本的にはマップ上にある宝箱を開けて行くことによって、操作方法が増えたり、画面スクロールがスムーズになったり、ドットが進化していったりするなどののちに、イベントを突破していくことによって3Dグラフィックス化していくという、総じてグラフィック表現面での進化という側面を大きく追体験させる形となっている。


 
本作の前身にはLudum Dare #24の48時間でビデオゲームを製作発表する企画で優勝したプロトタイプ版がブラウザで公開されているので、こちらは8bitの80年代のグラフィックス進歩を追体験する形になっているので未プレイならばこちら確認してみればどんな感じなのかわかると思う。


 このゲームにはいくつかのゲームのパロディがあるんだけど、おおむね2つのゲームの構成を使っている。それはもう一見して分かるように「ゼルダの伝説」「ファイナルファンタジーⅦ」の二つだ。主人公の名前からしてデフォルト名(FFのように改名させるシステムがあるのだ)「Clink」クラウドとリンクを足した名前にしてある。つまりバリバリの日本の家庭用ゲーム機でしかもアメリカやヨーロッパでも浸透している作品史観からビデオゲームのグラフィックス表現の進化を追体験するという作品になっているのだ。

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 クラウドのバスターソード(そのまま「Cloud's sword」って名前で出る)を持ってブルータルな任天堂キャラクターと激闘。3Dになっても基本メカニクスは変わらない。

 だがしかしそうしたゲームの歴史のスタートをアタリの「pong」を嚆矢とするのか、それともアドベンチャーならinfocomなのか?と言ったビデオゲーム起源の設定からして抜かされており、いきなりモノクロの初代ゼルダのイメージによって始まる。任天堂の家庭用ゲーム機のそれを始原、としてゲームがスタートするのである。


 しかし任天堂ゼルダを始原とはいえ、ゲームを進めていくうちにいくつもの競争があった家庭用ゲーム機の中の正直勝ち馬の中のさらに勝ち馬の歴史にのみ乗っかっているような違和感を覚える。第二にここまでに繰り返し書いてきたようにあくまで進化の歴史をたどるのがあくまでグラフィックスの進化が中心であり、ハードの進歩による決定的なゲームメカニクスの変貌の歴史に関してはわずかにしか触れられていないからだ。「ゼルダ」の64になってからのメカニクスの変貌を思い出してもらえればわかりやすいと思う。しかし「evoland」は3Dへと進化しても基本のメカニクスは2Dのままなのだ。もちろん、小デベロッパーにとても難度や労力の高いそれを望むのは酷とはいえ、すでにこうした歴史へのアプローチをとった以上見せ方はあったはず。


 特に任天堂のファミコン~スーファミからプレイステーションの中で決定的にグラフィックスの進歩や演出を先導していたファイナルファンタジーが本作の全体を貫いているせいでより勝ち馬の歴史観をより感じる。アクションに限っては3D表現による新ゲームメカニクスの提示は必要不可欠な面はあったと思うが、ゲームメカニクスが記号表現のやり取りであるJ・RPGでは3Dグラフィックス化直後は進歩した演出や表現として許容されていたのを思い出す。


 しかし「歴史は勝者によって書かれる」とはいえ、ゲームをスタートしてある程度8bit時代の形が見えてきたなかで16bit時代に以降する進化の宝箱ですぐにスーファミの特色だった「拡大・縮小・回転」による「FF6」「天地創造」であったあの奥行きのマップになった瞬間に、当時のメガドライブやPCエンジンなどはその機能を持っておらず、各ハードが各ハードでできる表現や演出を競っていたのを走馬灯のように思い出してしまい、そのあたりの葛藤の歴史は全部切られている。メガドライバーは当時の忸怩たる感じを思い出すかも分からない。

 このように業務用ゲーム史観やPCゲーム史観というのが完全にカットされており、家庭用ゲーム機史観のみででさらに任天堂~PSのファイナルファンタジーという勝ち馬ハードの勝ち馬シリーズによる進化を描くのが中心という、まさに複雑怪奇な市場要因によって発生したNorth American  video game crash of 1983を「ソフト租税乱造で発生した”アタリショック”」と俗化して「任天堂は反面教師としてサードをチェックして市場を統制」みたいな勝者の歴史観であるので、進化にあたっての歴史の葛藤の重みが無く、本作のテーマであるだろうビデオゲームの進化に触れるインタラクションの感動というのが想像よりも弱い。


 だがこれは演出を徹底していないせいというのもある。序盤でも8bit時代にもかかわらず、ストーリーを説明するテロップの宝箱をとった時にはすでに16bit以降のBGMに、8bitのドット文字ではなく通常の字体によるテロップ。洞窟の中でも16bit時代では当時不可能だっただろう霧のレイヤーがグラフィックに重なっていたりするなど8bitや16bit時代のあの感じを決定的に出し切れてない。また「プリレンダムービー」や「ボイスによる会話」による演出の進歩が実装されていないのも気になる(ってやはり酷な要求なのだが)

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               日本のゲーム黄金期、その後への予見なのか・・・       

 ところでそんなファミコン~プレステという覇権をとったハードとソフトのみを主にした進化の歴史の中で一つ浮いて見えるシーンがある。それはPCゲームのハック&スラッシュの代表「diablo」だ。本作全体のゲームメカニクスとしてはここで大量の敵にコンボ攻撃&アイテム入手という快感がゲーム中で最もあふれたステージである一方で、このステージが組み込まれていることはなにやら暗示的ではある。


 はっきり言って「ビデオゲーム史・進化の追体験」というにはあまりに表層的すぎる本作は結局のところ普遍的な歴史のそれではなく、やっぱり製作者のビデオゲーム体験の個人史と見るほうが近いと思われ、PCゲームが主だろう「diablo」の登場は「家庭用ゲーム機中心の進化史」の文脈として見たなら(PSでも発売されているとはいえ)若干飛んでいるように見え、これはもう作者の中の青春時代の記憶を追って作ってると思われ、もちろんこれを取り上げたことに意図的な暗示もなにもないとは思う。

 

 しかしだ。本作でオープニングからエンディングまでに描かれた歴史というのは懐かしく馴染み深いそれを再体験させる代わりに、いささか自分には哀しい。というのもほとんど個人史寄りで勝ち馬の歴史寄りとはいえ、やはり日本のビデオゲームが世界的にフラッグシップを握っていた黄金期というのは散々言われているように80年代~90年代後期ごろまでなのかなということをも再体験させられるからだ。

 
 

 本作のタイトル画面下のコピーライトにはここぞと言うかのように「1986-2013」と明記されている。shiro gamesは2012年に立ち上げたデベロッパーなのでこれもレトロ時代を思わせるための仕掛けなのだが、これは最初の「ゼルダの伝説」が発表された年だ。そしてこのゲームでは「ファイナルファンタジーⅦ」そして「時のオカリナ」までの進化やイメージを残して終わる。つまり1986年から1997、1998年までが最も日本の家庭用ゲーム機で進歩していく感覚を得られた時期、ということに関しては異論はないのだが、そこから先の進化に関しては触れられずに終わるあたりに黄金期の終わりを決定付けるかのようで哀しい。


 そうした中で「diablo」の存在がどこか暗示的なのは、こちらも1997年に初代がリリースされているので以上の2作品とも時節が合っているのだが、このあとPCゲーム界隈でさらなる大きな進歩があり、その流れが家庭用ゲーム機にも合流していくというのが2000年代以降に大きく、海外ゲームが覇権を握り、PCの意味が高まって行き家庭用ゲームの価値が弱まっていく過程でもある。その予見に感じたせいかもしれない。そもそものこの「evoland」自体がこうしてPCでダウンロードで遊んでいると言う現在があるわけだし。

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 というわけで決して正史としての強度の高いビデオゲームの歴史を追体験するものではないのだが、やっぱり多くの人がそうだったような家庭用ゲーム機中心で進化を感じていたというあの頃を追う感情移入をしやすい個人の体験史というのがオレの感想ではある。

 

 なので今後この「ビデオゲームの進化追体験ゲーム」に臨むのは、やはり歴史の起源の設定から厳密にし、ゲームメカニクスの変貌も追った正史としての進化を追体験できるゲームであり、第二には任天堂もプレステも存在せずにセガだけが勝ち続けた場合の歴史であるとかPCエンジンだけが勝ち続けた場合の歴史だとかプレイディアが全てを征服した場合の歴史であるとかの徹底した偽史追体験ゲームである。そういえばNIGORO作品「ラ・ムラーナ」は「ビデオゲームが2Dのまま進歩していたならば」のコンセプトだったな・・・MSX至上史観も見たい。

evolandは steamGOGにてリリース。ios版もリリースに向けて開発中とのこと。

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コメント

>スーファミの特色だった「拡大・縮小・回転」による「FF6」や「天地創造」であったあの奥行きのマップになった瞬間に

このシステムの代表はFF6の1年前に発売された「新桃太郎伝説」でしょう。
5大システムの一つとして広告でも大きく取り上げていました。
ストーリーや世界観ばかりが注目される作品ですが、システムや表現力の面でも他のRPGに少なくない影響を与えていたと思います。

>dさん

おお新・桃太郎伝説ですか!やってみたいと思いながら遊べていない作品の一つです。
なかなかハードな展開と聞いており、日本の中世を舞台にしたRPGは
「俺の屍を超えてゆけ」や「天外魔境Ⅱ」の桝田省治作品など
土着的かつ原型的な味わいがあっていいですね。
日本の中世舞台によるドラクエ型でゲームの進化の歴史を辿るも面白そう・・・
と書こうと思いましたが、ドラクエ史観だと進化のダイナミズムはあまりないかもしれません。

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