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2013年5月14日 (火)

「BioShock Infinite」バイオショック・インフィニット感想と考察 「全ての物事は目の前で起こる」偽史と記憶の現代演劇(修正版)

Boi
内容に触れていない簡単なレビューはmk2に書きました。

 最初のバイオショックはプレイヤー=主人公であると言う徹底した一人称での体験を重視したものだった。対して今作「インフィニット」はブッカーという明確なパーソナルを持つ主人公が多彩なAIによって行動するエリザベスと共に空中都市コロンビアの冒険を描いたものとなっているのだ。


 それは舞台が海底都市から天空へと変わったのと同様、プレイヤー=別の他人を操作するという3人称視点への変化を意味する。つまりフルに体験する形よりも、物語を観賞するという立場にシフトしたと言える。

 だがしかし、近年のFFやMGSのように物語を過剰なムービーで進めるような分かりやすい演出によるストーリーテリングではない。本作はシリーズ同様、3人称のブッカーを操作する形とはいえFPSの肝である体験の部分から大きく離れることは無い。どのシーンもほぼリアルタイムで展開されるのだ。その結果、どのような印象だったか?というとそれは「現代演劇」だった。


 そしてそれは単なるストーリーテリングの印象というだけではない。本当に現代演劇の前線が行っている、テーマを重層にさせる作劇と演出などをビデオゲームにて実現させたと見える意味で、本作は異質だ。ということで「演劇」と言う視点による本作の全面的なネタバレと謎解き全開のレビュー。


 

 

●第三の男ブッカー・デューイット


 初代を繰り返すかのように、二人組が漕ぐ舟から灯台へ向かうオープニングによって幕を開ける。しかしこの時点から大きく前提が変わっているのを示すシーンが出てくる。目の前で文句を言いながら舟を漕ぐ二人組に男の声が話しかける。それは今プレイヤーの視点となっている男・ブッカーの声だ。


 、アメリカ先住民との戦争や義和団事件への出兵経験を持ち、その勲章も部屋に飾っているこの探偵は、借金を帳消しにしてもらうためにエリザベスを連れてくるという依頼を受けた、というバックグラウンドを持っている。「プレイヤー=主人公=行動するための背景や動機が存在しない」から明確な背景と動機を持つ第三者を演じるという変化は、シリーズを知っているプレイヤーに全く物語の前提が違っているということを示している。


 実際に灯台に入った目の前には「汝の罪を清めよ」と書かれた額の下に洗面器が置かれ、そこを覗きこむとはっきりとブッカーの顔が映り、コロンビアに向かうロケットが発射した時には炎の光が窓に反射してブッカーの顔を映すのだ。導入の時点からはっきりと初代とは真逆になっていることを示している。


 だが3人称になったからと言って決してFFやMGSのようにムービーで一方通行になっているかのような物語の鑑賞ではない。全ての物事はほぼリアルタイムで目の前で展開され、現場に常にプレイヤーは関わるという鑑賞と体験がハーフとなった形になるのだ。

●アメリカの「偽史」の塊である空中都市コロンビアと預言者カムストック

 到着した空中都市の先は水で浸された教会で、先へ進むと信者たちの集まりがあり、そこで「洗礼」を受けるのか問われる。これはキリスト教パブテスト派による「浸礼」というもので、全身を水に沈めその身を清め、キリストへの帰依を誓うというものだ。アメリカ合衆国の宗教人口はプロテスタントが最も多いが、その中で最も多いのがバプテストだ。アメリカNo.1と言われるこの保守派に属するバプテスト派である南部バプテスト連盟は、アメリカ合衆国の非カトリック教派団体として最大の規模を誇るのである。(WIKIより。つまりは白人至上のアメリカが最も集中している宗教と見られるのだ。


 洗礼から目を開けた先の空中に浮かぶ都市は、超能力ビガーの展覧場やスチームパンクらしいマシーンが並び、未来から来た音楽にビーチボーイズの「God only knows」など一見未来への夢と希望に溢れたユートピアのような様相を示している。

 だがしかし探索を進めた先は、黒人と結婚した夫婦に見せしめにボールを投げつける見せ物が存在し、黒人解放を行ったリンカーンを悪として描いたモニュメントが存在するという南北戦争以前の南部の保守的な白人至上主義が完全に支配したアメリカが続いている「偽史」のディストピアだったのだ!その偽史を生んだ核に「コロンビアの預言者」カムストックがおり、彼の像は町中に描かれ、建設され、コロンビアの住人達は神と崇めているのである。ここにパブテストの洗礼の先がこうした光景という倒錯がある。基礎の宗教が個人の意思で曲解されるカルトの空間である。


 こうした偽史を作り上げるのはその思想や信条以上に過酷な現実から受けた屈辱を覆すことを元にして生まれるのがほとんだ。自ら受けた強い屈辱やトラウマを払拭させるために記憶を、歴史をねつ造する。自らが教祖となり、最終的には現実に対して復讐を試みるのだ。それはヒトラーからオウムのように。このカムストックの帝国は多様性を許容していくこととなる南北戦争後のアメリカという「正史」を排他することによって、白人中心によるアメリカの明るく陽気な未来像が一転してグロテスクな様相を見せることになる。そもそもの未来の歴史を語る「預言者」という立場自体、偽史を語る人間という最もオーソドックスな形でもあるのだ。

 

 一体どうした経験がこんな偽史の帝国を作らせるに至ったのだろうか?カムストックはその預言の能力の代償に身体はボロボロであり、現実のアメリカの「正史」を覆す復讐をその娘エリザベスに託そうとする。


●カムストックの後継者で、並行世界へ渡る能力を持つエリザベス
 

 

  生まれた頃より塔に幽閉され、右手の小指を失っており「ティア」という異空間を開く能力を持つヒロイン・エリザベス。それはそのまま童話「ラプンツェル」の引用と思われ、彼女と接触する序盤は典型的なヒロイン救出劇の物語をなぞるかのようだ。


 しかし物語が進むにつれてそんなありきたりな流れとは大きく異なってくる。エリザベスと行動を共にする中でティアという能力を駆使して戦闘や謎を解いていく。ティアに入った先には死んだはずの人間や無かったはずのものがあったり、存在しなかった可能性が展開されている。「私の考えたことが実現しているみたい」(うろ覚え)とエリザベスは言う。

 

 一体この能力はなんなのだろうか?この能力の実態とはカムストックが作り上げた「ティア」発生装置を援用した、別の可能性へと分岐した時空への扉を開き、行き来する能力だったのである。ある可能性ではコロンビアで弾圧を受ける民衆の蜂起の象徴としてブッカーが死亡していたり、ある可能性の未来では、エリザベスがカムストックの後継者となりニューヨークを爆撃する復讐を実現しているのだ。


 つまりファーストパーソンアドベンチャーを遊んでいるならばお馴染みの「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」のそれであり、そしてさらにお馴染みだろうループ構造を含んでいる物語だった、ということが明らかになってくる。

Bioshocktimeline1

「グリーン・ゴー」様バイオショックインフィニット詳細解説記事「空に触れる」より。エリザベスが導くプリンダーの木。


 ではこうした多数の可能性に分岐した並行世界を生んだ最終的な目的はどこへ至るのだろうか?それはなんとエリザベスの過去だけでなく、ブッカーの過去と記憶に関わってくることだったのだ。
 


 
●偽史と記憶が悔い改められる時

 遂にカムストックと対峙したブッカーとエリザベスは、その憤りのなかでカムストックの頭を水に沈めて殺す。そののちにソングバードを味方につけ、コロンビアを崩壊させる。


 しかしそれで終わりではなかった。崩壊していくコロンビアの中で、エリザベスはティアを開き別の時空へと飛ぶ。その先は全ての始まりの場所の灯台だった。ただその違いは水平線を見渡す限り無数の灯台が立っているのである。


 それは無数の可能性に分岐した並行世界をわかりやすいくらいに形にしたものだが、しかし一体エリザベスは何故ここに連れて来たのだろうか。並行世界を同じように歩く別の次元のブッカーとエリザベスを脇で観ながら辿りついたその先は、コロンビアに到着した直後の教会によく似た洗礼の場だった。一体これはなんなんだ?と拒否して去ろうとするのだが、エリザベスから「あなたはそれを受けたはず」と不気味な言葉を受ける。


 それから先に現れたのはところどころで夢に現れてきたブッカーの探偵事務所だった。「娘を連れてくれば借金は帳消しにする」という依頼主の声が聴こえる。だがしかし、違っていたのはもう一つの部屋の先にいたのは一人の赤ん坊・ブッカーの娘のアンナだったのだ。「娘」とは実はそういうことだった。ではエリザベスは・・・


 アンナを後悔の中で売り渡した後には、カムストックがアンナを抱えている時空へと渡る。そこで見たものとは、コロンビアへとアンナをティアの向こうへと明け渡そうとする姿だった。アンナを取り戻そうとするブッカー。しかしあと少しで手が届くところでティアが閉まり、アンナの小指を切り落としてしまう。エリザベスの右手のように。

 
 エリザベスの真相に気付いたブッカーは、先ほどの洗礼の場に再び舞い戻ることになる。そこで最後の真相に出食わす。カムストックとは、実はブッカーがパブテストの洗礼を受け生まれ変わった後の姿であり同一人物だったのだ。


 つまり、かつてのインディアン(ネイティブ・アメリカン)との衝突による虐殺のトラウマを抱えていたブッカーは過去を清算し生まれ変わる契機を、当時のアメリカ南部・白人の保守層によるパブテストを受け入れることで得て、カムストックへと生まれ変わりコロンビアを生むことから「白人中心による明るい未来の続くアメリカ」という偽史を作るに至ったのだ。宗教上のナイーヴな問題ゆえにスタッフと話し合ったというのも、この過去の屈辱をかき消し偽史の帝国を作る契機としてパブテストがフィーチャーされたことに関してに関わるためではないかと見ている。


 最後にブッカーが辿りついた場所とはブッカーがカムストックへと洗礼によって変わる場所であり、他の可能性による並行世界から渡ってきた何人ものエリザベスが目の前に現れる。そこでエリザベスたちはブッカーを水の中へと沈めるのである。ブッカーがカムストックを殺したように。「汝の罪を清めよ」。

 


●ケン・レヴィンが切り開いた「現代演劇」としてのゲーム


 
  そしてその洗礼の形を取った死の演出には多数の意味合いが重なってくる。それはネイティブ・アメリカンの虐殺や義和団事件と言ったカムストックの作り上げた偽史への贖罪という形を借りたアメリカの歴史への贖罪の表現であり、それに加えブッカー個人としては自暴自棄の中で金のために娘であるアンナを売り渡したという大きな後悔に対しての贖罪がの二つが重なってくるのだ。アメリカの歴史への贖罪という大きな物語と個人の過ちの贖罪という二つが水に沈められることで収束するのである。


 

 ブッカーが死亡した瞬間に3人称の視点へと映り、 並行世界が発生する以前へと時空は終息し、様々な可能性から来たエリザベスたちは消えていく。そして、長い贖罪の旅を終えたのちに、ブッカーは探偵事務所でアンナを見つけるという本当の現実へと帰って行くことができたのだ。ラストは「解釈を観客に委ねる」典型的な切り方であるが、オレはこの歴史と個人という二つの贖罪を超え、偽史は全て消えさり、確かな現実に戻れた。という見事なハッピーエンドを迎えたという解釈を取る。



 以上の歴史と個人のテーマの交錯、並行世界という形や現実と幻想が多層的に混ざり合う語り口、そしてヒロイン・エリザベスの表現を総合して、これは野田秀樹などの現代演劇を見た時の触感に非常に近いと感じた。現代演劇がやっている手法に一人で何役も牽引させて語りを多重化させたりしながら、歴史や個人、現実や幻想と言った境界を行き来する物語をシームレスに、全てを観客の目の前で起こすのである。大体このような形で。


 実際にケン・レヴィンの経歴や発言を紐解いていても、ニューヨークの超難関校ヴァッサー大学のドラマ学部に入学したレヴィン氏は、後にゲーム開発でも発揮されるストーリーテリング、芝居や脚本などについて学んでいったという経歴を持ち、劇作家トム・ストッパードの「アルカディア」などの劇作への言及が為されている。オレが本作を現代演劇的だ、というのも単なる印象論ではなく、ケン・レヴィンの創作のベースにあるものが遺憾なく演出されたせいではないかと考えている。



 ビデオゲームは完全に鑑賞・再生メディアである映画に近づこうと昔から、そして今もそうしているのだが、オレはしかしどちらかと言えば映像・音声の情報を再生するのではなく、プレイヤーがリアルタイムで操作することで進め、物語に意識参加して関わるそれはむしろ演劇に近いのではないかと考えており、プレイヤーはゲームを遊ぶ人間、というだけでなく「演技者」という意味も二重に含まれるのだ。


 バイオショック・インフィニットの特異性とはこの歴史と個人の贖罪という物語のその全てがカットシーンに映ることなく、リアルタイムで全てが目の前で起こり関わり続けるのだということを実現させた、FPSという形式の中で真に現代演劇の方法を実現させたビデオゲームであることだ。
 


 

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コメント

はじめまして。前からちょくちょくここを覗いており、そのうちこのゲームに
ついて語ってくれないかなーと楽しみにしていた者です。大変興味深く読ま
せていただきました。

私は数年前から本気でビデオゲームを楽しめなくなっていたのですが、こ
のシリーズの事を知って1作目とインフィニットを続けざまに遊び、がっつり
とハマってしまいました。日本での発売時期もテーマが共鳴している映画
ジャンゴやリンカーンの公開に続いていたのもこの作品に手を伸ばすきっ
かけになりました。

もともと私は本流のゲームより1本道でやりこみ要素等のない、しかし体験
としては強烈なゲームが好きだった事もあり、このゲームの手法は正に自
分の求めているものでした。ビデオゲームは映画よりも演劇に近いという
論にもとても共感します。個人的にその方向に進化していってほしいとさえ
願っています。体験としては映画以上に「現場に立ち会ってる感」を味わえ、
演劇以上に介入可能なビデオゲームは総合芸術としてもっとすごいところ
まで行けるんじゃないかと久々にゲームへの渇望感が沸きあがりました。

この飢えをしのぐ為にこれからここの文章をゲーム購入の参考にさせてい
ただきます、恐縮ですが。それでは長文失礼致しました。

>SHOWFKUP さん

 やっぱりビデオゲームは多様なマシンスペックに乗っ取った、新たなルールと駆け引きの深化と言うのが本道ですが、しかしそれよりも体験の強いメディアであるゆえの物語と表現というのが見たいと言うのはありますね。

 それはやはり邪道ではあるのですが、ただ近年では表現のリアリズム化・多様化に合わせて物語やコンセプト面に比重を置いた作品が多々見られるので、そのあたりにアプローチしたことが届いたのは有難いです。

 このブログは本当にゲームシステムのことは語らないしむしろストーリーとの乖離どうのを話題にするくらいという(今この記事読み直したらスカイラインを使った戦闘や戦術面に関して何も書いてない)、まあー物語と表現ばかりを語り過ぎるのもヤバいんですが・笑。

いつもツイッターやこちらのサイトを興味深く拝見しています。
インフィニットのエンディングですが、アンナを売り飛ばした事実は絶対に変えられない訳で、その事がずっと頭に残り続けて釈然としませんでした。

しかし、ラストで全てを知ったブッカーがエリザベスの手によって時代を逆行する洗礼(殺される)を受け、アンナを売らなかったブッカーが残ったと解釈すれば反面教師として納得出来る結末でした。
カムストック自身も洗礼を受けていない自分はどうなるのかとヴォックスフォンで疑問を呈していました。

インフィニットは素晴らしいゲームですが、ストーリー、戦闘、キャラクター、全てにおいて一作目が個人的に一番好きです。
頭の狂ったスプライサーの主我を愛すを透明になって観察しながら聴いたり。
エンディングにしても対照的だったと思います。
主人公が切り開いた道のり、脱出してからも最後まで守ったもの。
1のエンディング、最後のナレーションには号泣しました。

>カーダルさん

おお恐縮です。ツイッターではしょうもないツイートばかりですが・・・

やっぱり各所で初代とのゲームデザイン差と比較しての、
いささか期待をスカされた感想が見られますね。ここは自分も否定できないです。

もうこれは日本のゲームなどが早い段階で陥った所ですが
どうしてもストーリードライブ形式に振り切った構成になった場合、
RPGからシミュレーション、そして本作のFPSというジャンルならではの
ゲームのルール・駆け引き全般を凝ったものにする場合、
ストーリー進行のための足止めのチャレンジにしかなりようが無いのかもしれません。
例えばストーリードライブ構成日本代表たる、
一本道の揶揄が未だ残るFF13における、戦闘・ボス戦などなど。

本作の最も作品として重要なツボがやはり多重のコンテクストによる物語と
ケン・レヴィンの背景から想像される演劇的な演出といった側面に非常に集中しており、
結果、FPSとしての部分の戦略・探索を基調とした自由度というのが
戦闘シーンのチャレンジをどう乗り越えるか?に限定されてしまったことが
意外な食い足りなさになってるところはあるかもしれません。

一本道か否か、カットシーンがあるか否か(2週目からスキップ出来ない場合は論外ですが)、それでゲームの良し悪しを判断しませんが、

mk2のレビューでEABASE887さんも指摘されている通り、
カットシーンを使用しない、リアルタイムで進行する演出、
逆に言えば「スキップ出来ないカットシーン」と同じ事になりかねない。
インフィニットは上記の様に感じる事が多かったです。

>戦闘シーンのチャレンジをどう乗り越えるか?
戦闘についてはdead space 3と同じ感想をもってしまいましたね。
ごりごり集団で押すだけという....よく言えばスピーディーな戦い。
もちろん敵によって攻略法はあり、それを探す戦略性はあるのですが。

今回の内容には特に食い合わせが悪かったと個人的には感じます。
スカイフックも同様で「ただの移動手段」としか思えませんでした。
広い空間でスカイフックを使って警官と鬼ごっこしたかったな~という。
トレーラーで見たスカイフックでの戦闘で股間がキュッとなったものです。
戦闘中のティアについても単に「そこに存在したもの」を出すだけで重要な選択を迫られるシーンなどありませんでした。

私のインフィニットに対する評価は初代との比較、それを差し引いても、
ストーリーの、時代の逆行、平行世界の扱い方が個人的に好きではなかったという理由が大きいです。

セーブデータの仕様も酷かったですね。
収集物が多くあるのにプレーする度上書きされてしまうって....
SIREN(PS2)の様にアーカイブとして別画面で保存され、いつでも閲覧出来る様にしてほしかった。

と散々文句を言ってしまいましたが、インフィニットは素晴らしいゲームですし、
ローカライズも初代を意識したと言っていた通り、力を入れたもので良かったですね。
もう何週もプレーしてます(タコ掴みでいろんな所に移動させるのが面白い)。

返信ありがとうございました!

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