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2013年4月21日 (日)

新生「tomb raider」トゥームレイダー感想と考察・ブロックバスタームービーと銃撃戦、ともすればレズビアンによるリブート

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 トゥームレイダーはmk2にもレビューを書かせて頂きました。

 ソーシャルからインディーまで各所に広がる現在では、コンソールゲーム機でのAAA作品を選ぶときはよほどの革新やひらめきのあるものしか遊ばないようになってしまったが、気がつけば自分でもびっくりするのだがここのところ選んだのが「デウスエクス」  「スリーピングドッグス」 そして今回の新生「トゥームレイダー」となんとスクウェアエニックスパブリッシャーになってるものばかり。



 ネットでのゲーム語りによくいるアナリスト気取りのクズがドヤ顔で昨今の業績悪化による和田社長退任劇を受けて「スクエニは海外デベロッパー買い取りは失敗したね」というのを見かけるが、発売されたその内容は決定的なイノベーションをもたらすものではないかもしれないが、現行のAAAタイトル群の中では王道のゲームデザインでありながらどこか異端のモチーフやテーマを扱った作品と見え、そのあたりに琴線がかかったからだ。

 

 ではこの新生「トゥームレイダー」は現行のAAAアクションアドベンチャーの中でどのような異質さを持っていたのか?ということの、ビデオゲームでの女性主人公と現在のシューター問題を交えたレビュー。

■ビデオゲームの女性主人公


 ビデオゲームでの女性主人公のタイトルは4%しか存在しない。EEDARによる2012年の調査ではアクション・シューター・ロールプレイングなど669タイトルのサンプルを取った中で、女性が主人公であるのはわずか24作しかないのだ。


 今だセールスの問題などによって敬遠されることをはじめそこからフェミニズムの領域までに議論を巻き起こしやすい女性を主人公にするという問題のはるか以前から、アクションアドベンチャーのイコンとして確立していた女性主人公ララ・クロフトであるが、オリジナルの誕生はというと「開発当初、男性キャラクターで製作が進んでいたが、インディー・ジョーンズに見えてしまうという理由から、思い切って女性キャラクターに設定を変更したところ、ララの「強い女性」というイメージが印象を残し、後の大ヒットへと繋がることになる。」WIKIにあるようで、どうもほとんどいいかげんいやいや偶然によるものということらしい。



 オリジナルシリーズでの最初から銃撃戦からアクロバティックなアクションをこなす強い女性のキャラクターが確立されているララには「いかにしてそうなったのか?」「どのようにしてそうした人格を得たのか?」という描写が決定的に欠けたまま、アスリートとスーパーモデルの二つを持つ体型で墓荒らしをするという、ビデオゲームの女性キャラクターの典型的なセクシャルなイメージを発している。


 恋愛のADVなんかを別にしたビデオゲームでの直球でのセクシャルは「モデルやグラビア体型の女性が格闘やハードなアクションを行う」おおよそこれでストⅡでの春麗キャミィはじめのカプコン格闘ゲームガールズからFFⅦのティファ、原産ファンタジーから日本訳ドラクエに至るまでのビキニ・アーマーの女戦士、そしてデッド・オア・アライブなんかは完全に振り切っている。まあビデオゲームに限らず女性アクターの行う格闘や戦闘、アクション、さらにスポーツやダンスといった運動の全てがそのままセックスを暗に感じさせるというのはよくある話で、かのアントニオ猪木なんかは「プロレスはセックスに良く似ている」などと言ってたのだがあのコナミの女子プロレスゲーム「ランブルローズ」がいま一つヒットし切れなかったのもヒロインたちの身体は良くても肝心のゲームデザインがダメと言うつまりは顔が良くてもセックスが下手というせいではないかとごめんいきなり話が脱線し過ぎて正直スマンかった。


 
 ということでビデオゲームの世界的なセクシャルアイコンだけど日本人では咀嚼し切れないヴィジュアルだったララ・クロフトのリブートというのは第一に性格から体型までも含めたパーソナリティーの再構築という「survivor is born」というコピーどおりのテーマとなっているのである。


 本作のララは先のオリジナル版を含めた直球のセクシャルイメージを発するキャラクターと比較すると、それはとても顔がかわいく描かれていることよりも、身長が低く、くびれもはっきりと出来ていないという、このジャンルで必要だったろうアスリート的で、モデル的な強さや完成を示していない未成熟さの残る体型だ。役割も調査に向かうチームの本当に地味だけどちょっと胸のある女性調査員の一人という、ほぼ文化系のキャラクターだ。もしゲームが違っていたならば崩壊した教会に暮らしながらスラムで花を売るようなタイプのヒロインのようで、中盤に空から銀の長髪の黒幕に長い刀で身体を貫かれて殺されていたかもわからない。まずそこが実のところ異質だ。



 ではそんな未成熟なララのサバイバーとしての”誕生”とはいかなる形で描かれるのだろうか?それはゲームの開幕から徹底的に暗示されていくのだ。物語の始まりはムービーにて描かれ、日本の南の方に位置する、アジアの周辺諸国の物が流れ着く島で幻の邪馬台国のあるという島へ調査へ向かったチームの船が嵐に巻き込まれ、転覆したのちに海岸に投げ出される。ララはチームの仲間たちを探そうとするのだが、何者かに襲われ気絶させられる。


 目を覚ました先には洞窟の中で逆さ吊りにされて拘束されている。プレイヤーとしてのゲームスタートはここからでララを操作してまず脱出を目指す。そこでこの誕生というテーマにおいて、このチュートリアルにあたるステージでの操作習得とシナリオ演出のミックスは見事で、結果未成熟なララに畳みこむように困難が舞い込むのだが、そこに暗示されるイメージはさっきのアクションや格闘をする女性キャラクターの直球的なセクシャルと異なっている。

 

 プレイヤーはちょうど操作を覚えるのと同時にララが受ける困難をも追体験していく形となる。まず逆さづりから脱出した途端に地面に身体を叩きつけられ、腹をボルトで貫かれるのだ。そしてそれを苦しみながら抜く。その表情はずっとおびえ迷う表情で、かすれた声の混ざった荒い呼吸をする。高い所からジャンプして着地した時や、狭い岩の間を通り抜ける時には切ない声を上げる。このゲームはずっとこんなふうにアクションゲームの中の女性キャラクターとしては未成熟であるララを痛めつけ、血まみれにし、悲しませるのだ。それは処女の破瓜の暗示だ。その暗示はゲームを進めララが危機に遭遇していくたびに繰り返し現れることになる。

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 特に強い暗示があるかのようなのはこれだ。物語が進んで、島を取り囲むスカベンジャーたちの一団に遭遇し、ララはここで見つからないようにして通り過ぎようとするのだが、母屋に隠れていたところを獰猛なスカベンジャーに見つかり、襲われ組みふせられる。


 そこで抵抗を試みる中で、ハンドガンを奪い、撃ち殺すのだ。ララはやむにやまれぬ形で初めての殺人を犯し、全身に血を浴びて、経験したことの無い感覚に震えながら泣くのだ。このシーンがなんの暗示なのかというのは言うまでもないだろう。この他にもララが全身を血で染めるシーンなどなど婉曲的な形でのセクシャルの暗示が多く含まれるシーンが繰り返される。


 このように単なるセクシャルアイコンのままだったララ・クロフトが、一人の女性がいかにしてタフに成長していくのか?ということの描写が今回リブートでは重要となっており、そこにアプローチしていった結果、以上の暗示が数多く含まれることになったのだと見ている。発売前より比較対象として挙げられる「アンチャーテッド」と、ブロックバスタームービーのテンポとシームレスになったかのような映画表現とアクションゲームの結合といったゲームデザイン以上に差別化されているのはこのようなアクションアドベンチャーゲームにおける男性・女性の部分だろう。

 

 実際に本作のシナリオを担当した女性ライター・リアーナ・プラチェットの発言にしても「ララを単なる巨乳のアクションキャラクターにはしたくなかった」とあり、そこでは「アンチャーテッド」のネイトとの比較もあり、いかに女性主人公としてのララの確立に意識を置いていたのかが分かる。

 ・・・のだが、リアーナ氏のインタビューを読み進めていくとその女性主人公としての確立に関して、かなり突き抜けた意見にまで行っているのである。
 
 
 



■リブートしたララ・クロフトは実は・・・


 さてKILL SCREENに掲載されたリアーナ氏のインタビュー(英語)ではシナリオを構築するに当たりそうしたスタンスを取っていたことが分かるのだが、その女性主人公のパーソナルの成長と確立というジェンダーの側面を、さらに推し進めてこうしたレベルの発言にまで至るのだ。

―あなたは男性か女性を描くときのアプローチのやり方はどれくらい異なっているように感じられていますか?グランド・モリソン(※アメリカンコミックの有名シナリオライター)の有名な発言に、彼の描いたシリーズのバットマンはゲイとして描いていた、というものがあります。にもかかわらず、彼は決してそのシリーズ自体を特別明確には描きませんでした。あなたは今までにはっきりとは発言していなくても、自分を確立するためのほんのすこしの他の物語を持っているのでしょうか?


リアーナ: そうね、私が言いたいのは・・・(少し考え込む) 時々だけど、いい例を思いつかないわ。私はララのサムとの関係には裏では何かあるんじゃないか?というスレッドのナンバーを見たの。それはなにかの信仰のよう。私はどんなふうにしてゲイのアジェンダを持つのかについてのエッセイ全体に目を通したわ。それは興味深くて、必ずしも私が考えていたことではなかった。


 それはララをゲイとして描くのことを好んでいるという私の中の一面なの。クリスタル・ダイナミックスがその準備をしていたかは私は知らないよ!だけど私たちが直接そのことについて話されていたことはなかったわ。いずれも。誰が先のことの可能性を知っているのかしら?これはちょっとした地雷の話題よ。

 さてここで言われているサムとはサマンサ・ニシムラの愛称の女子でララの大学の同窓で、いちばんの友達なのだが、本作では島のスカベンジャーたちを統べるカルト集団に捕まり、ララは命がけで助けに行くという形になっているのである。女の子が女の子を全力で救いに行く!そう気がつかない内にトゥームレイダーはビックリするくらいまどか☆マギカみたいなことになっていたわけなのである

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 実際、冒険の中でサムの手記をいくつか見つけることができるわけなのだがしょっちゅうララのことばかり書いていたりと、確かにいろんなところでこれは何かあると勘ぐられてもおかしくない要素がそこかしこに見当たる。そういう観点でいくと、あんまりネタバレするのもあれなので隠しつつ言うとラストシーンなんて「うわあ・・・ララすげえな・・・サムを・・・」と複雑な感情を抱くこと必至だ。

 ということで、これまでのシリーズで単なるタフでセクシャルな冒険者という記号でしかなかったものに「いかにしてララはララになったのか」というパーソナルに関わる側面を細やかに描写しようとした結果、そこで実現したのは文系のおとなしめの体型をした処女の破瓜から冒険の中でたくましくなったのちに百合、というすさまじいまでに日本の近年のアニメの傾向のようなある一部の層の琴線に引っ掛かるだろう要素に彩られたものになっているのである。


 それにしても皮肉だ。オレは日本とアメリカのこうしたストーリーテリングや世界観の立ち上げ方の違いを見るに、アメリカはその国の構造や性質上どうしても人種・国家・宗教といった背景の上で権利と自立を巡る闘いや物語が中心になることが多く(「ファイナルファンタジー13」「マスエフェクト」を比較してみればはっきりする)、ここでいう女性主人公の確立というのもビデオゲームの中でマイノリティであるサイドの確立というのが今回リブートのテーマとなっていると見られるのだが、そのアプローチによって日本人の(一部の)嗜好に密接に近づくことになっているのだから。



 ただ、そうした繊細さも、現代のAAAタイトルを取り巻くある問題によって若干の完成度を奪われている面も否定できないのだ。

■そうした繊細なテーマを全部ぶち壊しにする現代のマルチプレイヤー実装のシューター問題

 それはQTE問題、ではない。ブロックバスタームービーとアクションゲームがシームレスに交わった本作でもQTEはふんだんに使用されているのだが、長いムービーの中で唐突に現れるのではなく、アクションシーンとイベントシーンが切り替わるシーン中に起こる自然な形で起こり、実際のアクション操作とQTEで押すボタンの統一を測っていることやタイミングを取るポイントを示すなどなど、まだ良く出来ている。ダメなQTEは長いムービーでひと休憩しようかってところで唐突にボタンを押せ!しかもアクション時の操作と関係無いボタンをってものだから。



 本作で致命的なほどに問題なのはTPSタクティカルシューター的なステージが全体に施されていることだ。ララが初めての殺人を犯し、涙を流したその後からはまるで紛争地にでも巻き込まれたかというくらいの銃撃戦が展開されていくのである。暴漢に襲われ、やむにやまれず初めてのことをしなければならなかった少女がその後に何十人と言う男を次から次へと・・・思わぬ形で別の意味の暗示が生まれてしまっているのである。


 これはシリーズとゲームのテーマすら揺るがしかねないあまりにもな仕様で、海外サイトもさすがに問題にしてる。Eurogamerなんてララが止めを食らわすキャプションにて「リアリズムを食らえ~(おそらくこの声で)」と殺人の数に関して疑問を上げているし、Choke pointの武器を下ろせ - 戦闘のないゲームの時代にて「Lara Croft――でさえ、パズルを解かずに大量殺戮を繰り広げるようになってしまった。あのシリーズが墓荒らしをメインにしていた時代を憶えているかな?」と皮肉られている。


 この問題は現代のAAAタイトルの、コールオブデューティ」「バトルフィールド」「HALO」「ギアーズオブウォー」の世界的なヒット以降アクションゲームにはメインストーリーを味わうキャンペーンの他にマルチプレイヤーでの対戦などが実装されることで、ストーリーや高い難易度へのチャレンジを終えても次は対人戦による競い合いを導入することで賞味期限を長引かせるパッケージを成立させることが多くなったと思われるのだが、おそらくはその流れではないかと思う。


 これは今のアクションアドベンチャーのトップである「アンチャーテッド」さえも巻き込まれているのだが、このタイトルが提示するゲームの方向と全く異なるのが問題だ。実際シューターとして本作を見た場合凡作と言う他なく、食い合わせが悪い。


 パッケージビジネスが曲がり角を迎えている現在マネタイズに至る手法を模索している最中なのだと思うが、マルチプレイヤーはストーリーや表現をメインにしている作品を致命的にしかねない。「スペックオプス:ザ・ライン」 もこの問題には抵抗し切れなかったわけで凡作なシューターのゲームシステムであったりする。現代のAAAタイトルで真に問題にすべきは薄っぺらなQTE問題ではなく全面にミリタリーシューターの価値が支配していることだ。

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コメント

何年か前にギャルゲーマーの間で騒がれた「よく考えたら俺いらないな」って奴ですね。
裏を返せば自己投影できない主人公など不要、AVにAV男優など必要ないという。

>ビデオゲームでの女性主人公のタイトルは4%しか存在しない
この情報は不適格ですよね。主人公の性別選択が可能なゲームや、主人公の性別が不明なゲームの割合はどうなんですか?

女性は男性よりも主観的に物事を捉える傾向があり、リアリストである反面、
架空の世界への感情移入度は男性の比ではないらしいです。
どんなドラマでも映画でも無意識の内に自己投影できる人物を探してしまい、見つからなければ物語も受け入れない。
設定を自由に編集できるアバターこそ今の時代に合った主人公かもしれません。
ちなみにうちのかーちゃんに「よつばと!」を読ませたところ、名前すら設定されてない「綾瀬家の母」に勝手に感情移入して
「この作者は女の描き方をまるでわかっていない」と、勝手にブチ切れておりました。

>「ランブルローズ」がいま一つヒットし切れなかった
ヒットし切れなかった理由はたった一つ、「女子プロレス」という題材です。
肉体を駆使して競い合う美しさと、女性に求められる美しさはベクトルが違います。

戦う女が美しいなんてのは限りなく妄想に近い幻想です。
「女子プロレス」という題材は、たとえ設定だけでもその幻想をブチ壊しにする力があります。
格闘ゲームに存在する「女子プロレスラー」の少なさを見ればわかるでしょう。格闘技ファン=格ゲーマーではないんです。

>トゥームレイダーはビックリするくらいまどか☆マギカみたいなことに
「メトロイド アザーエム」で、ある意味似たような失敗をやらかしています。
サムスに恋愛感情を持たせるのを避けようとした結果、サムスがファザコンになってしまったのです。

アンパンマンの歌詞に「愛と勇気だけが友達」とあるように、皆に愛されるヒーローは特定の個人に執着することが許されません。
特に助ける相手が異性であった場合、神聖なものとして捉えられることはまずありえません。
まどか☆マギカでも異性に執着するキャラが哀れな末路を迎えますが、同姓に執着するキャラもロクな人生を歩んでいません。
異性を意識させないことで、ある種の神聖さを錯覚させようとしても、結局はそれも異質なものでしかないというのを暗に示していると思いますが、考えすぎでしょうか。

>ビデオゲームでの女性主人公のタイトルは4%しか存在しない
この情報は不適格ですよね。主人公の性別選択が可能なゲームや、主人公の性別が不明なゲームの割合はどうなんですか?

あーっ申し訳ない説明足りませんでした。
これの出典は英語WIKIの”Gender representation in video games(ビデオゲームにおけるジェンダーの表現)”からで、
Women as player characters(プレイヤーキャラとしての女性)の項で詳しく言うと
「全くの女性主人公は4%で、性別選択が可能なものは45%存在する」とのことで、
ここでいう4%とはプレイヤーのアバターとして選ぶものでなく、GOWにおけるクレイトスやギアーズにおけるマーカスのような特定の個人を中心とした主人公である場合ということです。

それで問題にしてるのはプレイヤーがアバターを設定して仮想世界を冒険するという構成でなく、
ひとりの主人公の人格と物語を中心に据えた構成のゲームのなかで
はっきりと女性が主人公であるものが限りなく少ないことや、また主人公として選ばれたとしても
リアーナ氏のインタビューに「ララを単なる巨乳のアクションキャラクターにはしたくなかった」という発言から逆算して見るに
かなりの面をセクシャル&無条件に強いキャラという描写で成立してしまってるわけです。
そこでトゥームレイダー・リブート版のテーマは女性主人公というものの人格と物語を中心に据えることの再設定といってもいいフィーチャーが施された部分が見所で、だけど繊細にやればやるほど日本人ナード層好みになってるのが面白れえよなという。

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