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2013年2月13日 (水)

正しいインディーズゲームの勝ち方・ビデオゲームが現代美術的な「コンテクスト」との闘いに突入した一つの証明

Fez

 去年の各サイトによるゲームオブジイヤーを振り返ってみて、ノミネートされている中でインディーズゲームの少なくないタイトルが見かけられた。「今のゲームにてクリエイティビティを担っているのはインディーズ」とさえ言われており、実際「マインクラフト」が全世界900万本を売り上げているというニュースなどは特にその中でも内容・セールスともに高い結果を残している。

 コンシューマーの純粋な進歩と調和の歴史が完結し始めている中でソーシャルゲームの極端な広まり方とともに興味深い事象であり、いくつか遊びながら感じたインディーズゲームならではの現代ゲームでの勝ち方とはこういうものなのかな、ということの考察。

 さてインディーズゲームに詳しい方ならここからの立ち位置の説明はいまさらかもしれないが、現代のコンシューマーゲームがその進歩の中で極めて精微な仮想現実世界を構築し、そして高い没入感を演出しようとするために予算・人員ともに莫大化する一方で、マネタイズの困難な前衛的な表現を目指したコンセプチュアルな企画や、グラフィックの写実的な進歩とともにかつての8ビットゲームのような純粋なゲームシステムでの面白さや印象といった部分がスポイルされるなどの側面があった、と思う。

 まず第一に現在評価を受けているインディーズゲームを眺めて見て受けた印象はそうした現代コンシューマーからスポイルされた部分がここでは蘇り、そして別の形で掘り下げられているということだ。端的に言えば2D・8ビットの頃のゲームのクリエイティビティと、初期のプレイステーションの頃のような様々な可能性が乱雑に置かれている状況が混在しているかに見える。

 なので、良くも悪くもクリエイティビティというものが抜き身で置いてあるかのような感触があるのだが、そのなかでの個人的な「インディーズゲームならではの勝ち」ってこうしたものではないか?というのが一つある。

Braid

 「Braid」という作品がある。一見何の他愛もない、野々村真をアメリカナイズしたような主人公が幻想的な光景を舞台に、時を操るシステムを使った2Dパズルアクションだ。

 

 しかしこの作品を代表とする「勝ち」とはよくできたパズルアクションと言うだけではなく、うかがい知れるコンセプトを見るにどうもここまでに構築されたアクションゲームと言うものの構造(まあお約束と言い換えてもいいです)を裏返し、いわゆる脱構築し直し、別の可能性を掘り下げ、見せつけたことにある。これがまずオレの思う「インディーズゲームの勝ち」の一つの形だ。

 

 「Braid」の話を続けると、この作品をかなり詳しく考察したサイトにインディーズゲーム情報サイト・アストラルゲート様の考察がある。 全編すさまじい掘り下げであるが、ここでは「Braid」の脱構築した「勝ち」とはどういうことか?を示すのにアクションゲームのひとつの構造を完成させた最大のゲーム「スーパーマリオブラザーズ」との比較を引用してみたい。

Braid 考察 -2- Braidの「ゲーム構造」と、「マリオっぽい」理由 

 「世界一売れたゲーム」として、ギネスブックに登録されたこともある」(その後、Wii Sportsが記録を塗り替えたようです)『スーパーマリオブラザーズ』は、説明するまでもなく、「ゲーム」を象徴する作品と言えるでしょう。

 

そして、『Braid』をプレイした方なら、デザインのそこかしこに、『スーパマリオブラザーズ』を思わせる要素がある事に気がつきます。

しかし、なぜ『Braid』は、『スーパーマリオブラザーズ』のデザインを取り入れたのでしょうか。

リスペクトからでしょうか?それとも、オマージュ?インスパイア?

もちろん、いろいろな考え方ができると思いますが、私は、『Braid』の「マリオ分」は、
「ゲーム構造」と組み合わさることで、「ハッキリとしたメッセージ」を、発している
、と考えています。(中略)

『Braid』と、『スーパーマリオブラザーズ』は、どちらも似たようなアクション(パズル)ゲームです。
敵を踏んづけて、とにかく右に向かって進めばいい。

大きな違いは、『Braid』の主人公は、時を操れる、ということです。
そして、ゲームのパズルは、その能力なくしては成り立ちません。

しかし、よく考えてみると、実は、ティムは時を操れていないようにも思えます。
つまり、本当に過ちを償いたいのであれば、「過ちを冒す以前」に、時を巻き戻せば良いはずです。

でも、このゲームでは、それはできません。

隠し要素である「星」を全て集めたとしても、このゲームでハッピーエンドを迎えることはできません。(中略)

同じ方向に進んでいるように見える『スーパーマリオブラザーズ』と『Braid』は、よく考えれば、真逆の方向をむいていることがわかります。

以下に簡潔にまとめてみましょう。

『スーパマリオブラザーズ』
・右に進んでいく
・ピーチ姫を助けて、ハッピーエンド 
・エンドを迎えて、ゲームは終わる

『Braid』
・右に進んでいるつもりだが、実は逆行している
・実は悪役は自分で、プリンセスはプレーヤー(ティム)から逃れようとしている
・エンディングはなく、ゲームは終わらない(明示的な「終わり」が存在しない)

つまり、『Braid』のゲーム構造は、全体を通して、「マリオ的な要素」を積極的に取り入れ、それを全くの逆方向にひっくり返した形、言ってみれば、「逆マリオ型」である、と言えるのです。

例えば『MOON』というゲームは、「戦わないこと」で、ゲーム(RPG)を批評しようと試みた作品です。
つまり、「反対のことをするゲーム作品」によって、意見を表明している。

『Braid』も、その「マリオ反転構造」によって、「ゲーム(業界)批評的」な立場を、プレイヤーに伝えているのです。

 

 「Braid」を例に挙げさせてもらったが、以上のようにゲームとしてのプレイアビリティの高さと(ここは重要だ)ともにこうした形で出来あがり切っているビデオゲームのジャンルを違った文脈から見せようとしている。

 この前の「スキタイのムスメ」でも思ったことだがそれが批評的なものであるか、哲学的なものであるか、心理的なものなどであるかはクリエイターによって様々だが、このやり方は歴史や文化や国家と言ったコンテクストから書き換えにかかる、現代美術的なそれが行うアプローチに近い。そしてそれこそがオレの思うインディーズゲームの勝ちの形なのだ。

 アストラルゲート様の引用中にもPSの伝説的作品「MOON」が例に挙げられているが、かつてプレステ時代には飯田和敏などがゲームに現代美術の方法を持ちこむということを行っていた。それがゲームとして出来が良いのかどうかはともかくとして、「アクアノートの休日」などは海洋散策ゲームの体裁をもっているが、実質的にあれは当時の3D空間というものに対する思索の大きい空間芸術というか、インスタレーション・メディアアートという切り口の意味の方が濃い。

 そうしたアプローチも時を経てFPSの代表作「ハーフライフ2」のMOD作品として、FPSの持っている空間・環境芸術要素を生かしたDear Esther 」など現れているし、最近もiosに「Kairo」という作品も出ており、片方ではジャンルの別の側面を示し、片方ではビデオゲームによる空間・環境芸術の最新の形である。と言える。

 ビデオゲームのもう一つの可能性を見たいオレとしては、このようにインディーズゲーム界隈を眺めていてそれはある時期にとても近いと思った。それは8~16ビット時代のゲーム全盛で、プレステが出始めてまたゲームの定義を揺るがす新たな表現の登場の予感があった94~97年くらいのビデオゲーム界の気配であり、現在のインディーズゲームはそのまま8~16ビットゲーム機時代のパッションと初期プレステの思索が一体になっている状況のように思える。

 まさにコンシューマー進歩の歴史の中でこぼれ落ちた部分がこうした形で再び大手の評価にも影響を与える形で現れ、そしてさらなるビデオゲームの構造や歴史にも接触するコンテクストの改変に手を付けるような現代美術的なアプローチを行う流れも出てきたことはオレには好ましい。

 以前より「アート」と「ゲーム」の関係が取沙汰されていたがそれにはまだ歴史の浅いゲームにはコンテクストの成熟が必要不可欠だった。奇しくもコンシューマー中心の未来に進んでいく進化の形が完結に向かいつつあることが、ジャンルのコンテクスト成熟という一つの区切りであり、そこで積み上げてきたゲームのコンテクスト・歴史や環境を別の形から評価し直す・過去の快感を再現しなおすみたいなアプローチが可能になることで、真にゲームが「アート」と接近する時代になった、とも言える。とりあえずインディーズゲーム界隈の傑作を見ながら、そういうことを思う。

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