ファイナルファンタジーⅦよりも、クーロンズゲートよりも早すぎた未来 シナジー幾何学の「GADGET」ガジェット・ios名作アドベンチャー探訪
iosには相当に過去の名作が移植されていて思わぬところに隠れた名作が平然とリリースされていたりする。「GADGET」 という作品がそうだ。
この作品は決して優れたゲームシステムやレベルデザインを持っているわけではないし、ゲームプレイの時間にしても急ぎ足で行えば2時間かからないかもしれないくらいだ。それでは何が優れているのか?というと、それは提示して見せている世界が今から考えればあまりにも早いビジョンを表現していたことだ。
それはこの時に語ったような「ファイナルファンタジーⅦ」よりも、「クーロンズゲート」よりも早い段階でこうした世界の表現を完成させ、そしてそれは現在のFPSアドベンチャー「ハーフライフ」シリーズから最新作「バイオショック インフィニティ」にさえ繋がるイメージを提示している。
マルチメディアという言葉が囁かれ始めた時代の、この隠れた名作を振り返ってみたエントリ。
オープニングの鋼鉄の機関車が入場してタイトルが浮かび上がる。「past as future」未来としての過去。それはこの作品を形作るバウハウス的な過去の時代が未来を想像したデザインを全面に採用していることから、現実と空想、時間感覚が歪んで行く物語に至るまでをひとことで表している。
一人称の主観で進むこのゲームはあるホテルの一室から始まり、部屋のラジオからは地球に彗星が接近していることを告げる中で、一体何者なのかわからない人物スローステップに科学者ホースラヴァーに接触するように依頼される。
列車に乗って彼を追う中で彼と計画を共にする科学者たちに出会って行くのだが、彼らは彗星が迫る地球から脱出するために小型宇宙船を建造している一方で、人間の精神に介入する機械「センソラマ」を使った研究を行っていた。そうした彼らを追う特殊警察と思わしき人物たちにも出会うのだが「奴らのいう彗星の地球接近はでまかせだ。小型宇宙船というのは軍事機器のことだ。真の目的はそれを使った革命だ」と言い出す。果たして一体誰の言うことが、なにが本当のことなのだろうか?
そうして情報が錯綜しながらホースラヴァーを探すうちに、突如として列車の中から木々の生い茂る湿地帯のようなところに迷い込みはじめ、各所で小さな子供の幻覚が見え始める。彼は一体何者なのか?どこからが現実なのか?やがてホースラヴァーに接触し、結末に至った瞬間に恐るべき真実に遭遇する。
以上が「GADGET」の大筋で、これだけでも「ファイナルファンタジーⅦ」の自我の分裂するプロットだとか「クーロンズゲート」のカオスを想起させる内容である。
本作がリリースされたのは1993年というこの手の作品では最も早くに生まれた作品で、FFⅦもクーロンズも影響を受けているのではないか?と踏んでいるのだか、特に「クーロンズゲート」は本作のデザインセンスもそうだが「通常サムネイル画像で移動のときに移動ムービーを流して繫げる」みたいな構成によって、当時としては作り上げた3D空間をリアルタイムのグラフィックで表示することが出来なかった中で自然に見せようとする方法に影響を受けてきたように思うし、「ファイナルファンタジーⅦ」なんかのミッドガルを代表とした都市造形も「GADGET」のバウハウス経由のブレードランナーって感じだし、何より冒頭で列車が魔洸炉へとインサートするシーンを代表にゲーム全体に列車のシーンが頻発する、あたりがその根拠と言える。いやこじつけかも。
このレトロフューチャーのヴィジョンというのは初期のプレイステーションに留まらず、海外のFPSで有名な「ハーフライフ」や「バイオショック」にも共通していると見え。「GADGET」にはノベライズ版「サード・フォース」も存在しているのだが、それがなんと「ハーフライフ」のシナリオを担当したマーク・レイドローによるものなのである。こちらに読んだ人の感想がある。小説版「GADGET」がいかに「ハーフライフ」の元になったのかの推測も行われており非常に興味深い内容だ。
マルチメディア時代の先駆けの作品を当時のシナジー幾何学とその主要クリエイターであった庄野晴彦氏が製作したものの中で本作は当時のアメリカなどで高い評価を受けており、それは1995年3月当時ののNewsweek誌(US版)で「50 for the Future(未来を創る50人)」に選出される ほどだった。
しかしそんな実績と裏腹に、母体のシナジー幾何学は1998年にはソフト制作費の高騰とヒット作の不在という問題によって破産してしまう。なんとデヴィット・リンチの当時製作中の映画(ストレイト・ストーリー あたり?)に投資を行っていたというのはなにやら「GADGET」の作風とともに面白い話であるが、90年代が終わりに差しかかる中で、一つのテーマであったマルチメディアという流れが終結したということの一つとも映る。
そういう意味でも時代変化によるカオシックな気配の強かった90年代の日本のゲーム黄金期のエピソードの一つとして「GADGET」は強いヴィジョンを放ち続けており、それは今度の「バイオショック インフィニティ」の空中都市・コロンビアに至るまでの3DCGで表現されるレトロ・フューチャーの趣に繋がっている。
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