iOSアプリゲームの超傑作「スキタイのムスメ」&「Nihilumbra」感想と考察
ゲームのルールが面白くて、音楽も印象ぶかく、ゲームを進める原動となるストーリーも面白く、ゲームクリア後の余韻が深く残る作品、それを神ゲーと言って差し支えないのだと思うが、ここのところのインディーズゲーム界隈では決して誰にでも勧められる作品ではないにしろ、そうした神ゲーと呼ばれるに足る条件を満たした作品が幾つか見られる。
それが今回の「スキタイのムスメ」と「Nihilumbra」の2作で、iosアプリながら明らかにビデオゲームが持っている性質や本質のある側面を全面に浮上させた作風なのだ。ではこの二つの何が本質と性質を引き上げた傑作と言えるのか?の感想と考察を交えたエントリ。
「スキタイのムスメ」
「絶世の大書」を封じ込めるために、夢と現実を行き来しながら三つのトライゴンを集める冒険を描いたアドベンチャー。この三つのトライゴンというのがそのまま「ゼルダの伝説」のトライフォースを反転させたもの。そうこのゲームの基本的な構造は「敵を撃破しながらマップの謎を解いていきボスに至り、そして宝を手に入れてレベルを上げていく」みたいな「ゼルダの伝説」の構造をトライフォースの反転の如く、脱構築した形で使っている。
脱構築して描き出されたものとはそれはかつての8bit時代のゲームでしか感じられなかっただろう、エモーショナルな側面を映像・音響・ゲームシステムともに全開にしていることだ。近年はこういうレトロゲーム的なアプローチの作品はインディーズゲーム界隈でよく見かけるが、「スキタイのムスメ」はそんなかつてのゲームを遊ぶ時に感じられる現象的・感情的な側面を表現することに飛び抜けているのだ。
昔からビデオゲームで決められたルールをクリアするのと同時に感じられるの感情的・現象的な側面って糸井重里さんが「ドラゴンクエスト」に感銘を受けて「MOTHER」を作ったように所々で花開くことがあり、また8bit時代のゲームは情報量が少ない事によるシンボライズの部分が強く、これを多くの人は今のHDゲームと比較して「想像力が刺激される」と評価するがそうではなく現実を写し取るかのように描くことよりも、情報を絞り記号に近づくほどに意味というものは遥かにストレートに伝わるものだから。現実の象を一目見ることと別に、その象を「小さな象」「老いた象」みたいに最大の記号である言葉で捉えた時に意味が遥かにストレートに届くようなものだからだ。
そうしたレトロゲームならではの記号性とそこから放たれる意味の強さをおそらくは非常にアカデミックな方向(なんせクレジットを見てたらユング「赤の書」の引用なんてしてるくらい)によって検証し、再構築されたものすごくレベルの高い作品。なぜ8bit時代のビデオゲームが心に残ったか?を製作者自身の記憶とも合わせて検証し、とても美しく再構築されたものだ。
こういうアドベンチャーなりRPGなりを脱構築して感情に訴えかける作りというのはかつてはPSの「moon」はじめラブデリック作品だったり「プラネットライカ」だったり、飯田和敏の「ディシプリン」だったりと数多くあったのだけれど、それらの中でも音響中心として美しさが段違いなのである。
APPstore「スキタイのムスメ ユニバーサルバージョン」
「Nihilumbra」
色によって起こる様々な力を使いながら謎を解くアクションパズルだが、こちらもビデオゲームの物語の構造を脱構築した作品になっている。
ブログの始めに「アドベンチャーゲームは何故記憶を失うのか?」と書いたことがあるが、ここでゲームを始めたてのプレイヤーとはすなわち何も知らない主人公そのものであり、ゲームを進める過程そのものが記憶の回復と人格の再構築に重なって行くゆえに没入しやすくそうした作劇が多く使われた。
同じようにゲーム始めたてのプレイヤーは何も知らないというのは生まれたての赤ん坊のようなものかもしれない。この「Nihilumbra」の主人公はまさにゲームを始めた瞬間に「あなたは生まれた」のテロップと共に現れるのである。
しかしその生まれ落ちた場所はThe Void=虚無。果たして地獄なのかどうかすらわからないその場所から出るかのように操作していくのだが、「ここから出ることはできない」「あなたはここの一部」とのネガティブなテロップが追いかけてくるのである。
追いかけてくる虚無から逃げ延びたその先で一本の案山子を見つける。ここでスライムのようだった主人公の姿が案山子を真似るようにして人型の姿となり、そして虚無からさらに逃げ延びるために色彩の力を得て、謎を解きながら旅をして行くのだ。
このようにアクションパズルの構造にとてもエモーショナルな物語を重ねることに成功しており、プレイヤーは極めて詩的な感情と重ね合わせながらゲームを進めるという感覚を得る形になるのである。
タッチしてマップに色を塗りつけ効果を出すというところは「大神」に似ていて、煉獄のような場所の詩的な旅路ということでは「limbo」に近く、より大筋をわかりやすくした形になるかもしれない。若干目新しさに欠ける面は否めないがそれでもこれが素晴らしいといえるのはゲームシステムとパズルの出来に加えて、「虚無」からの逃走の果てにあるものとは?と抽象的ではあるが、実は主人公が成長していくこと果てに残ったものという王道ハッピーエンドに近い感情を揺さぶるストーリーテリングを持っていることと合わせて、エモーショナルかつパズルを解く面白さの合わさった名作としていいだろう。ラストでオレが感極ったくらいなので間違いない。
ということでビデオゲームのある構造をとてもエモーショナルなものに作り変えた傑作二本がなんとiosで見つかったことに驚きつつ、ここのところタブレットの普及によって安価でハイリターンというソーシャルゲームやブラウザゲームが大流行りなんだけど、一方ではインディーズゲーム界隈もまたクリエイティヴィティという側面で非常に豊穣になっていっており手に入れやすい土壌となっているのでは?と感じさせるのだった。この二本が思いがけず年末でぶち抜きで強い印象をオレに残して行ったのだった。
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