「watch dogs」ウォッチドッグス中心で見るポストGTA・オープンワールドスタイル
今年のE3でやっぱり目を引いたのはUBIがここまでに情報をリークさせないように非常に配慮したという、会場で披露された「Watch dogs」だった。あれは上手く転べばアドベンチャーゲームのジャンルにおける、ジャンルの構造自体を逆転させて驚かせた「EVER17」「YU-NO」になるか、それとも最近のちょっとひねったGTAベースのもののようにの「トレーラーやアイディアを見る限りは面白そうだが実際に遊んでみると序盤までは確かにいじっていて面白いが中盤以降に展開が広がらずダレる。消化試合的になる」のかの2択になると思う。ものすごく高いハードルなんだけど。
最近も「prototype」や、本家ロックスターの「LAノワール」など、精微に現実の都市社会を模したオープンワールド系も、「GTA3」より単なる自由な暴力を振るいまくれるスキャンダラスな段階を経て、一ジャンルとして普遍的になったスタイルである一方、その次の段階を模索している最中だと思う。というわけでオープンワールドスタイルはゲームに何をもたらしたか?と、「Watch dogs」を中心とするポストGTA・オープンワールドへの期待について。
ゲームがサターン・プレステ・64時代あたりから3Dによる仮想空間表現とそれにともなう映画表現に近づくことなどなどが加味されていくことによって、アクションやRPG、シューティングなどなどのジャンルが融合されていくことが起きていったと思うが、「GTAⅢ」のヒットあたりから急速に広まった、都市と社会の日常を仮想空間に実現し、その自由さを売りとしたオープンワールドというスタイルは、それを土台として全てのゲームのジャンルの総合・混合形にさえしてしまおうとしているポテンシャルに満ちていたと思う。
しかし、実際にはGTA系のオープンワールドも、基本そうしたリアルな都市での自由と言っても実際に干渉できる点はかなりアクション方面に限られてしまうし、またゲームの進行も実際のところミッションを請け負ってそこから進行するストーリーを追っていくという、実のところFFやドラクエみたいな、自由に動けそうな世界観がありながら一つの物語を演ずるという進行と大差ないように見えたり、実際「GTAⅣ」も、あれは「ドラゴンクエストⅣ」が当時言われた問題と相似の悩みがあった作品だったと思う。つまり、表現力やリアリズムに沿った物語の表現を突き詰めるあまり、プレイヤーが干渉できる自由さが減ってしまうことだ。名作シリーズならではの悩み。(そのストーリーテリングは用意周到で、批評に値する強さはあるにせよ。)
このようにGTA式のオープンワールドは様々な作品がリリースを重ねていくうちに、初期に感じたポテンシャルと別にかなり形骸化してきた印象がある。ベセスダのRPGなどを見てもオープンワールドといっても無論様々なスタイルが存在しており、全てのゲームジャンルを飲みこむだろうその可能性を掘り下げていくことはまだそのままだろうが、オレがここのところ「prototype」だとか「LAノワール」などを見ていて思うのは、GTA形式はオープンワールドの莫大な可能性を広げようとする一歩手前の段階のまま、形骸化していっているという現状であるように見えるのである。
というのも、「prototype」はGTAの形式に「デビル・メイ・クライ」 「鬼武者」ばりのアクション満載のガジェットで攻める、また「LAノワール」は旧来型のアドベンチャーの方法を導入し、複雑なストーリーテリングによる作品にするなど、確かにオープンワールドはあらゆるゲームジャンルを飲みこむし、その意味で2作はGTAスタイルをさらに押し広げるもので、さらにはジャンルのポテンシャルも広げる可能性を初期のトレーラーなどから期待されたと思う。
が、実際の作品に触れてみるとこれがまた序盤まではトレーラーの期待通りの快感があるのだが、中盤まで遊んだあたりで問われるゲームとしての広がりや底の深さが期待される段階にて「オープンワールドの必要はあるのかコレ?アクションはステージ制の方がいいんじゃ・・・アドベンチャーで特に筋を追う進行で凡雑なんじゃ・・・」などと感じてしまい、なんと個別のジャンルの可能性もオープンワールドという方法の可能性の双方が狭まってしまっているケースがしばしば見られると思うのだ。オレはここにGTA式オープンワールドならではの形骸を見てしまう。オレ個人の感想とはいえ「prototype」を最後まで終えた印象がアクションのステージ制ながら製作のセンスの高い「ベヨネッタ」を上回るかというとそうではないし、「LAノワール」が他のアドベンチャーゲームの秀作たちから一歩飛び抜けた、新たな構造を見せたかどうかというと「ウソや真相を隠す人間の感情や表情をも演出してしまう」という演出技術のみが突出していた、という印象。
さて「watch dogs」だがE3のトレーラーを見る限りでは、そういうGTA形式のオープンワールドの現状に対しての、極めてメタフィクショナルな方面への掘り下げが行われるのではないか?という期待がある。つまり、GTA形式のオープンワールドでの都市、というものの構造自体を逆転して使うという、ジャンルそのものの構造を見せつけるという壮大な逆転への期待。それが冒頭のギャルゲエロゲ型のアドベンチャーの構造自体を逆転させ提示させた「EVER17」や「YU-NO」に似た期待感ということなんだけども、正直GTA型にちょっとアクション性をグルーブさせる、アドベンチャーのガジェットを追加することで新味を出すというのは序盤まではトレーラー通りの期待に応えるが、底を問われる中盤以降は持たないというのをけっこう見てきたので、それゆえに発売した年の話題を全てかっさらうくらいの大成功か半端な評価の二つに一つしかないように思う。
が、この作品はそれでもトレーラーの内容を見通す限りはハイライトとしている所も展開を広げる所もかなりいいラインの切り込み方をしているように見える。まず端末を使用して都市のネットワークに介入して信号機や電光掲示板などのシステムを遮断していったりするゲームデザインで、これはゲームの展開も考えるにトレーラー全体からの印象でなんだけれど、現代の都市社会を構築しているシステムには、ただの都市の日常のシュミレートではなく、あらゆる部分のネットワークによって構築されているってことで、主人公はそこに介入していくというゲームと想像され、そこんところにGTA式のオープンワールド・都市への構造に関わるところに切り込むんじゃないかという期待を持たせる。
もっと妄想を膨らませた期待にするならこの都市のネットワークシステムに介入するゲームデザインというのは、ある意味では久々にビデオゲームの現代性(90年代後半にとってのプレステ作品みたいな。前エントリ参照)を表現するレベルに直結するんじゃねえかっつう刺激も期待したい。
その現代性とはなんというかべきかな、ビデオゲームがこうして仮想の都市を構築していく中でこそ起き、濃厚に凝縮されるブレード・ランナー的な近未来のSF想像力の現在とも言うべきか、ちょうどスマホが一人一台はこれからもつようになるのではというほどの常時ネットワークに触れる時代を上手く消化している設定であるとも見え、「watch dogs」に期待する現代性とは、もう突飛な未来像・近未来像と縁を切った現実ギリギリのエッジに沿った想像力に起因しそうな気がする。いやほんと大成功するならそういうレベルになるはずだろ!このガジェットなら!
それにしてもUBIがこういう作品を作るというのも、考えてみれば伏線はあったのかもしれない。というのも、同社の代表タイトルの「アサシン・クリード」シリーズ。第一作が発表された段階の記憶を引っ張りだすと、あれ現代にいる主人公が過去の記憶を引き出す為に、遺伝子記憶から過去の体験へと潜っていくことであのアサシンの生きた時代の本編に入るというややメタな構造、あれオレは「面白いけど、コレ必要なの?」という思いがぬぐえなかったし、2のラストの明らかにプレイヤー自身に語りかけてるとしか思えない演出など、嫌いではないが歴史の中のアサシンの物語ということでは蛇足なんじゃねえのかと思っていたんだが、どうもUBIはもっとビデオゲームとプレイヤーの関係性の構造も掘り下げて作りたいスタッフの意識があるのかもしれねえなと思った。いや、「watch dogs」製作ののスタジオやスタッフと被ってるのか分からず書いてるが(笑)
« ファイナルファンタジーⅦとクーロンズゲートによる人格分裂・カルト・ネット・世紀末まみれの90年代プレイステーション | トップページ | spec ops the line「スペックオプス・ザ・ライン」 感想と考察・砂嵐の奥にて »
「7.新作への展望」カテゴリの記事
- E3でFF7がリメイクって前に、ついこの間出たゼノブレイドクロスもいきなりリメイクされたのかと思った(2015.06.17)
- ゲームスコープサイズのTOKYO INDIE FEST 2015(2015.05.13)
- ゼノシリーズとファイナルファンタジー・18年の見えない相克 XenobladeXリリース記念エントリ(2015.04.20)
- Nintendo®2015(2015.03.19)
- WiiU新作に見る日本コンソール界隈が直撃してるゲームデザインの闘い とかいって(2015.02.09)
この記事へのコメントは終了しました。
« ファイナルファンタジーⅦとクーロンズゲートによる人格分裂・カルト・ネット・世紀末まみれの90年代プレイステーション | トップページ | spec ops the line「スペックオプス・ザ・ライン」 感想と考察・砂嵐の奥にて »
コメント